デルタG へようこそ
みなさん、おはようございます、もしくはこんにちは。このサイト(いまはブログですが)は2人のレズビアン(つな&ミヤマアキラ)が中心となって運営しています。2人きりなのはこぢんまりしててよいんですが、ちょっとさみしくもあるので(というか人手不足なので)、これからもっとライターさんとか、イラストレーターさんとか、Webプログラマーさんとか、イベント企画者さんとか、運営協力者をどんどん募ってゆきます(レズビアン限定ではありません)。協力を希望されるかたは、DG@delta-g.orgまでご連絡ください。
さて、事務連絡はこのくらいにして、デルタG開設にあたってのご挨拶代わりに、開設にいたるエピソードをご紹介しましょう。
●レズビアン・メディアがないっ!
日本初の♀♀専門商業誌として1995年に創刊された『フリーネ(PHRYNE)』がわずか2号で休刊となり、その後継誌である『アニース』も96年創刊、翌97年休刊。その後、「女の子と女の子のためのオカズ本」というニューコンセプトで2002年に登場した『カーミラ(Carmilla)』は、2005年に第10号をもって休刊。
漫画雑誌はというと、国内唯一のレズビアン商業漫画雑誌(当時)だった『美粋(ミスト)』は97年創刊(『スクレ』から誌名変更)で99年休刊。2003年創刊の『百合姉妹』は2005年に第6号で休刊。その後継誌として『コミック百合姫』が同年に創刊され、現在第10号までが刊行されている(2007年には姉妹誌『コミック百合姫S』が創刊)。
かたやインターネットでは、90年代末から女性同士の出会いや交流をサポートするサイトが登場し、ブログの普及によってレズビアン当事者が個人運営するブログがいくつも誕生している。個人が情報を発信できる仕組みがようやく整いはじめた。
が、紙媒体にせよ電子媒体にせよ、大手メディアでレズビアンに関する記事が取り上げられることはまずない。取り上げられるとすれば、大衆誌によるスキャンダラスな文脈のトピックくらいである。今年5月、尾辻かな子さんの参院選出馬表明を受けて、ようやく大手新聞の紙面で「レズビアン」という言葉が使用された。
●ないなら自分でつくるしかない
ところで、デルタG運営者のひとりであるつなは、2004年にスタートした月イチイベント「パフナイト」の立ち上げメンバーでもあった。その公式サイトを管理しているかのじょは、イベントへの動員増加、情報交換の活発化、アーカイブ蓄積のためにサイト充実化を目指していた。
それと並行して、韓国のフェミニストたちによるウェブ新聞イルダの存在を知り、衝撃を受けた。フェミニズムとレズビアンがきちんと結びつき、レズビアンに対して温かい眼差しを持った記事が充実しているからだ。つなは大いに刺激された。スキャンダラスではない文脈でレズビアンに関するニュースを伝え、アーカイブが充実したメディアがほしい、と。
そこでつなはライターであるミヤマに声をかけた。ミヤマはこれまで何度かパフナイトに足を運んでおり、つなと面識を持っていたが、特定のレズビアン・コミュニティを所属先とする気はなかった。そのため、パフナイトとは独立した形でのメディア構築の必要性をミヤマに訴え、ミヤマもそれに賛同した。
今年の7月から8月にかけて、ふたりは何度かミーティングを持ち、メディアの名称やコンセプト、コンテンツなどについて話し合った。「デルタG」の名称はこのころすでに決まっていた。
●ペガー・ケースがメディア運動に火をつけた
8月23日深夜、つなはイギリス在住の友人・細見由紀子さんとスカイプで雑談をしていた。そのとき細見さんから、「イギリスにいるイラン人レズビアンが28日に本国へ強制送還されるので、いま抗議活動をしている」と聞かされた。ペガー・エマンバクシュさんのことである。
イギリスから遠く離れた日本でできることはなんだろう、と考えた。新聞や雑誌、ニュースサイトに報道要請するのか? あるいは、レズビアンが集まるサイトの掲示板に書き込むか? レズビアンに関する緊急ニュースを伝える速報性の高いメディアが存在しないことを、このとき痛切に感じた。
ネットでは、ペガーさんの強制送還に反対する署名活動が世界規模で行なわれていた。日本でもペガーさんの現状を伝え、一人でも多くの署名を募ろうと思い、24日深夜に「ペガーさん強制送還反対」ブログを開設。それと同時にmixiやメーリング・リストに署名募集の告知とブログURLを流したところ、署名の数とブログへのアクセス数はぐんぐん増えた。25日の総アクセス数は約1,000だったが、イギリス大使館と外務省に要請文を届けるため賛同人リストへの参加呼びかけをおこなった26日には2.5倍になり、アクション当日(27日)には約10,000アクセスとなった。このアクションによってようやく各種メディアが動き、記事を取り上げはじめた。だが、アクション後の報道では、もう遅いのだ。
●デルタGはすでにはじまっていた
当初はつなと細見さんの2人で管理していた「ペガーさん強制送還反対」ブログだが、初動から5日間はほぼ24時間態勢で動いていたため、どちらも憔悴しきっていた。そこへ、ミヤマが管理人第3号として参入。ブログ記事やカテゴリの整理を担当した。
デルタG開設の予定は当初から10月だったが、ペガー・ブログと抗議アクションの連携の様子は、まさしくデルタGでやろうとしていることそのものだった。レズビアン関連事件の速報、および現在進行しているできごとの同時レポートは、大手メディアには頼れない。デルタGは、ペガー・ブログの形をとって、このときすでにはじまっていた。
●ペガー・テンション再燃!
9月中旬、ペガー・ケースが裁判として扱われることに決まり、ようやくデルタG開設へ動けるかと思いきや、またしても緊急事態が発生した。以前から注目していた韓国のフェミニスト・ビデオ・アクティビズムWOMの最新作『OUT: ホモフォビアを叩きのめす!プロジェクト(Lesbian censorship in school 2)』が山形国際ドキュメンタリー映画祭(2007年10月4日〜11日)で上映され、監督たちもそろって来日するというのだ。しかも、監督たちは映画祭終了後の11日に、1日だけ東京に足を伸ばすという。
ならば、監督たちと交渉して、その日に東京でトークイベントをやってはどうか。韓国在住の共通の友人を通じてWOMと連絡をとり、OKの返事をいただいた。ペガー・アクションのときの緊張感が再び起こる。会場の確保、イベントの告知、パンフレットの作成、ホテルの予約を含む監督たちの東京でのスケジュール調整などなど。7日には当作品の上映にあわせてデルタGの2人も山形入りし、作品鑑賞後に監督たちと会って打ち合わせをした。
そして、11日当日には東京駅でWOMのメンバーを迎え、都内某所を案内し、トークの事前打ち合わせをおこなって会場入り。イベント後には二次会で翌日の始発前まで盛り上がり、怒濤の1日が終了。と思ったら、デルタG開設まで、もう日数がない!
●というわけで
10月20日午前6時現在、不肖ミヤマはこの原稿を書いています。ギリギリスタートです。やりたいこと、知りたいことはいろいろあるけれども、一寸先は常に闇。その暗闇に触手を伸ばして、手応えを感じたものを、随時この場で取り上げていこうと思っています。「このこと取り上げて!」とか「これ調べてほしい!」とか「このこと書きたい!」とか歓迎です。どうかひとつ、ご指導ご鞭撻ご支援ご協力のほど、よろしくお願いいたします。






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