試験に出るよ! まるわかり「同性愛殺人」(2)
●殺害された鈴木さんは「同性愛者」だったのか?
殺害された鈴木さんにしても、「同性愛者(=レズビアン)」を自認していたかどうかは定かではない。2丁目にはほとんど顔を出したことがなく(ゲイタウンと無縁な性的マイノリティは少なくないと思われるが)、また、報道写真や断片的な情報などから察するに、おそらくレズビアンであるよりはむしろトランスジェンダーだったのではないかと思われる(トランスジェンダーは異性愛者でも同性愛者でもない)。いずれにせよ、鈴木さんに関する情報があまりにも少ないため、推測の域を出ない。
「自分は同性愛者ではない」と言う前田と、いまとなってはレズビアンかどうか確かめようのない鈴木さん。肉体的にはどちらも女性の身体を持っている者同士が性的な身体行為を行えばすなわち「同性愛関係」であると第三者が断定するのは、あまりにも乱暴だし短絡にすぎる(したがって「同性愛殺人」という見出しを用いたメディアは、この乱暴さと短絡さをチョイスしているといえる)。レズビアンはレズビアン同士、ゲイはゲイ同士、トランスはトランス同士、ヘテロ(異性愛者)はヘテロ同士でしか性愛関係をつくらないわけではない。同じセクシュアリティに属さない者とのあいだでも、性愛関係を持つことは可能だし、そのようなカップリングは実際のところ決して少なくない。レズビアンを自認するのであれば、たとえ異性とセックスしてもレズビアンに変わりはないし、同性とセックスしてもその他の生活の大半はまるっきりヘテロだというひとももちろんいる。
わたしはこのことを、「レズビアン・ライフとレズビアン・セックスは別物」と表現している。もちろん、ライフにセックスが含まれるケースも当然あるし、「レズビアン」が性的指向の一カテゴリとはいえ、レズビアンのライフにはつねにセックスが付き物であるとは限らない。
●前田はヘテロかクローゼットか?
一方では、前田は自分にすら嘘をついているのではないか、という見方も、もちろんできなくはない。同性と交際していながら「自分は同性愛者ではない」と打ち消すのは、自分で自分をレズビアンだと認めたくないからではないか、同性が好きな自分を自己否定しているのではないか、内なるホモフォビアが働いているのはないか、というように。
しかし、はたしてほんとうにそうとしか言えないのだろうか。前田の「自分は同性愛者ではない」発言は、内なるホモフォビアによる自己否定でしかないのだろうか。かのじょの虚言癖を差し引いても、必ずしもそうとは言い切れない、とわたしは思う。「同性との性愛体験があること」と「同性愛者を自認すること」は別物だからである。同性に性的魅力を感じながらも、いまだ同性との性愛体験がない場合には同性愛者を自認してはいけない、というルールはない。むしろセクシュアリティの自認は、性愛体験を持つ以前から芽生えるものなのではないだろうか(もちろん、性愛体験後に自認するケースもありうるが)。
鈴木さんと前田被告がどんな関係にあったかは、当人たちにしかわからない。鈴木さん亡き現在、裁判記録を精読したり、事件関係者を取材したりしても、「事実」には行き当たりようがない。前田被告のコメントは前田本人から見た一面の事実でしかない。
●「同性愛殺人」ではなく「異性愛“難民”殺人」?
事実関係や事件の背景は明確にはわからない。わからないなりにも考えてしまうのは、「同性愛殺人」とまとめられているこの事件は、むしろ強制異性愛社会(異性愛規範、家族規範)の弊害、歪みによって生じたものなのではないかということである。水商売や性風俗に従事してきた被告は、40歳を目前に無職となった(自分がもし「40歳を目前に無職」になったら、と考えるととても恐ろしい)。それまでは自身の「美貌」とそれなりのテクニックでなんとか食いつないできたが、長年にわたるアルコール嗜癖もあって生活スタイルは乱れ、生き抜くための職業的専門スキルを身につける機会もなく、収入は目減りする一方だった。殺害のトリガーとなった諍いや関係の悪化は、鈴木さんともども無職ゆえの経済的困窮に陥ったことが原因だったのではないか。
もう少しわたしの「妄想」を説明しよう。前田は公私ともども「女の性」を切り売りすることを生活の糧としてきたが、男にとっては、見た目のきれいな女とねんごろになれるなら財布の紐が多少ゆるくなる、という程度のことであって、相手の女がこれまでどのように生きてきたか、いま現在どんな状態なのか、そしてこれからどうやって生きていこうとしているのかなど、自分とはまったくかかわりのないことだ。男の関心は、目の前にいる女に欲情・興奮している自分だけである。
約7ヶ月(05年9月〜06年4月)にわたって、事件後の前田を自宅マンションにかくまっていた50代の男性調理師は、今年4月19日に犯人秘匿容疑で書類送検された。前田が指名手配されていることを知りながらかくまった理由を、「一度は交際して愛した女性であり、警察に突き出すことに後ろめたさを感じた」と話しているが、自首をすすめればかのじょが逃げていくと懸念したのではなかろうか。かといって積極的に逃亡のためのサポートをするでもなく自宅に住まわせつづけたのは、かのじょが殺人犯だろうがなんだろうが、好きなときにいつでもセックスできるころあいの女を手放したくなかったからではなかろうか(あくまでもミヤマの「妄想」)。
前田自身も、その程度の関心を向けられるだけで満足だったのだろうか。自分の都合のいいようにかくまってもらえさえすれば、男のいう「愛」に応えてもよいと思ったのだろうか。銀座でもゲイタウンでも一時的な取り巻きたちにちやほやされてきた前田だが、かのじょの暮らしぶりや先行きについて、親身に助言してくれるような友人はいなかったのだろうか。自助努力につながりうる情報ネットワークへのアクセスはかなわなかったのだろうか。
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