ブロークバック・マウンテン

[いぬのえいがひょう] vol.006
ブロークバック・マウンテン (2005) Brokeback Mountain
季節限定労働者として雇われ、ブロークバック・マウンテンでのひと夏の放牧の仕事をまかされたふたりの青年、イニスとジャック。
ジャックはヘテロにはわかりにくい程度のさりげなさを装いつつ、けれど、あからさまにイニスを誘惑する。
同性愛を嫌悪しつつも、内なる欲求に身を任せるイニス。
ブロークバック・マウンテンでの日々がすぎ、制度的結婚をしたイニスのもとへジャックが訪ねてくる。
イニスはジャックを求めながらも、どうにも身を任せきることができないまま逢瀬を続け、長い年月が流れる。
日本のゲイ・リベレーションの主張において、たまに耳にしたこと。
「子供のころ、同性が好きな自分は異常だと思って、自分を否定していた。自殺を考えたこともあった」
涙ながらに語られることも多い。
自分ですら自分を肯定できなかった、その苦痛を訴え、かわいそうな被害者だとアピールしているように見える。
『ブロークバック・マウンテン』で描かれるのはそんなふうに自己否定し、どうしていいかわからず、妻に恋人に当り散らしながらもがく、ホモフォビアを内面化した男性同性愛者イニスの姿。
イニスは同性愛が周囲にバレたら殺されてしまうと怯え、自己否定していた。
怯(おび)えは、過去のトラウマがあったとはいえ、結局は自身の偏見に根ざしたもの。
その苦痛は想像できなくもない。
けれど、そのころの「かわいそうな」自分を、客観的に判断してみて。
それは結局のところ、偏見に基づいて同性愛を差別していたということではない?
同性愛者である自分を蔑視していたことを強調するけれど、自分だけではなく同性愛者全体を蔑視していたのではない?
もちろん被害者ではあるだろうけれど、加害者でもあったのではない?
現在の日本では、男性同性愛者がカミングアウトしても、ほとんどの場合、たいした不利益はないという実感がある。
カミングアウトして失うものは、男同士のつき合い、男友達、高収入の仕事、男としての社会的信頼、暴力をふるわれにくい立場、といったところ。それら5つとも、すべて社会的に女を搾取することで成り立っている過剰な利益。
過剰な利益を得られなくなるから、辛く苦しいですって?
彼らの隣で、女たちは、男同士のつき合いから疎外され、女とつき合うことも限定され、男とつき合えば友達と隔絶され、仕事もほとんどなく、暴力にさらされる危険も高いというのに。
そんな苦しみが何だっていうんだ、甘えすぎてる、と思ってしまう。
さらに、男性同性愛者は、既存の性別観に沿った発言で周囲を楽しませれば、異性愛者の男女に受け容れられる。
男性同性愛者同士では、女性蔑視発言で会話が弾んだりもする。
ゲイ・リベレーションの主張をするかたがた自身は、きっとそうではないのでしょう。
けれど、彼らがそういった現実を知らないはずはない。
この映画の、自分を否定するほど追い詰められた同性愛者、イニスに同情はしない。
もちろん、同性愛者への差別には反対だ。
でも、男性同性愛者の叫びからは、差別される痛みを、あたしは感じない。
男性同性愛者の痛みが、わからない。
それ以上の痛みに溢れたいまのこの社会では、その程度の痛みを痛みとして感じることは、あたしにはできない。
もう少し性差別が緩和した世界でなら、その痛みを理解できるようになるかもしれない。
そして、そんな世界、ゲイの痛みを素直に痛みとして知れる世界に、あたしは住みたい。
ところで! そんなことより、いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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実は私、「ブローックバックマウンテン」は観たことがありません。ですが、いくらかのレビューを読ませてもらったので、一応どんな話なのかは知っているのです(B... 続きを読む























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