試験に出るよ! まるわかり「同性愛殺人」(3)
●「性的魅力」という「愛させる技術」
「異性愛“難民”殺人」とは言ってみたものの、ミヤマ自身は「女」で勝負することに関しては、人生のかなり初期のころに放棄しているので、「女らしさ」を身につけたり求められたりすること」にまつわるしんどさや息苦しさは、実感としてはあまりピンとこない。そのため、前田のどこが「異性愛“難民”」なのか、いまいちすっきりと説明できなかったのだが、G★RDIASメンバーのおひとりであるfont-daさんが、「愛させる技術」というエントリで、見事にこうおっしゃっている。
少なくとも、私は今まで、「女の子は性的に魅力的でなければ愛されない。愛されなければ幸せにならない」というメッセージを浴びて育ってきた。この社会は、愛されなければ、孤独で味気ない人生になるのだ、という価値観が重視されている(赤字表記は引用者による)。そして、女の子はお勉強ができて、仕事で有能さを発揮できても、性的魅力がなければ愛されないと言い聞かされている。男の子は社会的成功が愛される条件だとみなすかもしれない。しかし、女の子たちは、社会的成功が必ずしも愛されることに有利には働かないと、(言葉ではなくても)身に沁み込ませている。
この社会は、女の子を産んだ母親が、「あなたは、性的に魅力的でなくたって、幸せになれるのよ」と言ってやれるような社会だろうか。私には、むしろ、「性的に魅力的であることがあなたを幸せにするのよ」と(言葉ではなくても)言ってしまうような社会にみえる。また、女の子自身が、母親が言わなくても自ら、「性的に魅力的であれば、幸せになれる」と思ってしまう社会にもみえる。
(中略)
他者を意識する10歳ごろから思春期にかけて、子どもは周囲に自分を愛させるように仕向ける技術を、身につけようとする。そのとき、性的魅力という手段を選ぶことはなんのタブーでもない。しかし、この手段だけにアクセスするように煽る社会の状況は批判したい。そこから始めたい。
このエントリはもともと児童ポルノ問題との絡みで書かれたものだが、「周囲に自分を愛させるように仕向ける技術を、身につけようとする」子どもたちのみならず、また前田のみならず、多くの女性たちにも当てはまることではないだろうか。「周囲に自分を愛させるように仕向ける技術」として、「性的魅力という手段」「だけにアクセスするように煽る社会の状況」とは、まさしく異性愛社会のもたらす状況ではないだろうか(ここでいう「性的魅力」とは、対ヘテロ男性のものである)。
●性的魅力をどう活かし、賞味期限切れをいかに乗り切るか?
そして、性的魅力には賞味期限が付き物である。ミヤマのようによほど自覚的に「“女”から降りる」ことをしていない限り、職業や社会的地位にかかわらず、どんな女性も他者(特に異性)の関心を惹きつける要素として性的魅力のブラッシュアップにいそしむであろうし、いそしめばいそしむほど賞味期限の接近を強く意識するだろう。すでに若さも性的魅力も乏しい自分と折り合いをつけて賞味期限を乗り切れるのは、かつての性的魅力によって誰かに社会的に「所有」されてきた(あるいはかつて「所有」されていた)女性と、性的魅力を身につける必要も賞味期限のプレッシャーも感じずにすごしてきたミヤマのようなタイプだけである。
果たして前田はどうだったか。短大卒業後はホステスやパーティーコンパニオンをし、愛人契約していた相手男性の伝でバー経営を依頼され、新宿2丁目のバー2軒の経営を手がけたが長続きせず、風俗店で働くなどしていたが、平成16年ごろから無職となった。前田が40歳を迎える年である。アルコール依存や薬物依存は性別・年代・職業問わず誰にでも起こりうる(サラリーマン男性の大半はアルコール依存と摂食障害であろうとわたしは見なしている)ため、それが前田を経済的に破綻させた直接の要因とは考えにくい。加齢とともに性的魅力の賞味期限切れを招いたとも考えられるが、指名手配の写真ですら、それなりに化ければまだまだ通用するのではないかと思わせるものがある(ミヤマはちっともアガりませんが)。
報道によると、かのじょは若いころからつねに男性に依存しながら生活してきた。相手の男性には「結婚」を匂わせてもいたが、逮捕されるまでついぞ誰にも社会的に「所有」されることはなかった。ということは、前田自身は結婚の意志はおろか先の人生設計も持たず、ただ目の前の時間をやりすごすために、アルコールと薬物を消費し、自身の性的魅力を異性相手に消費させてきたのではなかったのか。
一般的な女子の性的魅力の使い道は、「一生食いっぱぐれのない男を捕まえるため」、あるいは「異性の欲情対象(=『女』)であることの承認」と思われるが、前田の場合は少なくとも前者ではなかったし、後者に関しては承認の数が多ければ多いほどよいというものでもないので、後者でもなかったのかもしれない。かのじょの「性的魅力という手段」の破綻ぶりは、まるで無計画な大量発行のすえにデフレを招いた貨幣経済のようである。
手段が目的化したとも言えなくはないが、前田は、まんまと自分の術中に陥る男をどこかしら軽蔑していたのではないだろうか。結婚を匂わせれば「責任」を持って対応してくれそうなウブな男でも、前田は「どうせこいつの目的はカラダだけ」と見切っていたのではないだろうか。したがって、適当に身を預ければいくばくかの金を提供してくれる男はかのじょにとっても好都合な存在だったのだ。男性に依存してきたとはいうものの、その依存の中身は「セックス=金」と割り切れるドライな取引であり、男性が前田にとって重要な精神的支えの役割を果たしてきたとは考えにくい(男は前田に金銭を与えることで「自分はこの女をサポートしている」といい気になったり勘違いの愛情にのぼせ上がったりできるのかもしれないが)。軽蔑すべき相手と軽蔑すべき関係を結んできた。それが、前田を取り巻く異性愛社会だったのだ。
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