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クィア・スタディーズ入門(3)

2007年12月13日 00:52 ミヤマアキラ
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【クィア・スタディーズ講座】第1回−3「クィアって何? どこから来たの?」

(一連の記事はカテゴリ:クィア・スタディーズから)

 

今回は、クィア・ムーヴメントが起こるまでのアメリカの歴史の流れ(第二次世界大戦後〜)を見ていきます。1960年代〜70年代の公民権運動(ウーマンリブや学生運動など)、フェミニズム、ゲイリブ、ゲイライツ運動、80年代初頭のHIV/エイズ流行を受けて起こったエイズ・アクティヴィズム、レズビアン&ゲイ・アクティヴィズム、ゲイ・スタディーズ、レズビアン・フェミニズムなど、セクシュアリティとジェンダーをめぐる学問&社会運動を、大まかに振り返ってみましょう。

には)きムにおいて、、に加えてたコミュニティのサポートをおこなってきたこなって●第をつだった。、ランスが集う店に警察が手入れをおこなってされた。ープは例トランスが集う店に警察が手入れをおこなって次大戦後の穏健な同性愛者運動

アメリカ合衆国における同性愛者の権利運動を歴史的に見ていくと、第二次世界大戦でいろんなことが動いて、戦後は一瞬自由になったのが、たちどころに保守化する。戦時中は女性が外に出て働くようになり、軍隊に入ったりもしているのに、1950年代になると、元に戻って家に入ってしまう。

 

その保守的な潮流の中で、ホモファイル(homophile)・ムーヴメントが起こる。ホモファイル・ムーヴメントとは、「自分たちは同性が好きだけれども、好きで悪いことをしているわけではないのだから見逃してよ」という感じの、わりと穏健な権利運動。当時の合衆国は、同性愛者、とりわけ男性同性愛者にはひじょうに厳しい時代で(女性同性愛者は存在しないも同然だった)、個人の性生活をも取り締まるソドミー法(肛門性交やオーラルセックス、男性同士の性行為などを禁じる法)が多くの州で適用されていた。そういうなかでの権利運動は穏健で地道だった。

 

 

60年代の公民権運動〜ストーンウォールの反乱

60年代になって、合衆国では公民権運動やウーマンリブ、学生運動などが盛んになり、ひとびとの権利意識が高まっていった。そのような機運の高まりの中、1969年にストーンウォールの反乱という象徴的な事件がおきる。それまでは、同性愛者やトランスが集う店をターゲットにした警察の手入れや嫌がらせに対して、当事者からの正面切った反発は少なかった。ところが、ストーンウォール・インでの手入れに対し、同性愛者やドラァグ・クイーンなどが警察に対して石を投げるなどして2日間ほども抵抗をつづけた。これは、それまでの同性愛者の権利運動のなかでは大暴動といってよいほど大きな反乱だった。

 

ストーンウォールの反乱をきっかけに、その後の同性愛者の権利運動は大きく変わった。いわゆるゲイリブ(gay liberation:ゲイ解放運動)がはじまる。これは、「自分たちはもう黙ってはいない、同性愛者にも市民としての権利が与えられるべきだ」ということを強く主張しつつ、社会の根本的な変革を求めようとする運動だった。

 

 

●ゲイリブからゲイライツ運動へ

ところが、70年代のなかばまでには、合衆国は再び保守化していく。アメリカだけでなく世界的にそうなるのだけれども、ウィメンズ・リブも学生運動も60年代の勢いを失う。ゲイリブもほかの運動と歩調をあわせて穏健化し、比較的穏やかな権利獲得運動になっていく(これをゲイライツ運動と呼んで、ゲイリブとはわけることがある)。公権力に果敢に立ち向かい反乱を起こすラディカルな運動ではなく、冷静に手順を踏んで権利の承認を求めるようになっていく。

 

ゲイライツ運動は簡単に言えば、「ゲイだってアメリカの立派な市民の一員であり、毎日真面目に働いて税金もおさめているし、国の役に立っているのだから、市民としての権利は認められるべきである」という運動。誤解を怖れずにあえて表現するなら、「ドラァグ・クイーンやセックス・ワーカーは特殊例であって、多くのゲイは真面目で堅実で立派な、普通の市民なんです」という主張。

 

このころ、ゲイライツ運動の裏側では、レズビアン・フェミニズム運動が起こっていた。レズビアンの一部とフェミニストの一部が、「女性が女性として女性を愛するレズビアニズムは、フェミニストの究極的なありかたなんですよ」という主張を展開した。こちらはゲイライツ運動とくらべれば急進的な運動だったが、ジェンダー・ストレートである点は共通している。この時期の運動は、概してジェンダーによって分断されていた。

 

 

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AIDSの大流行とゲイ男性のハイリスクグループ化

それが大きく変わるのが80年代。HIVの大流行があった。最初期に男性同性愛者の感染例が報告されていたこともあって、アメリカ食品医薬品局(FDA:厚生労働省に当たる役所)が、「異性愛者は心配ない」というアナウンスを出し、公衆衛生危機の問題として対処しようとしなかった。じつは男性同性愛者だけが感染する病気ではないとわかってからも、合衆国政府は「まともな市民は簡単には感染しない病気」という扱いをして、すぐには対応をとろうとはしなかった。

 

では、まともじゃない人間とはだれのことかというと、ゲイ男性、麻薬常用者。アメリカの場合はハイチ系移民の黒人にHIV感染者が見つかったため、ハイチ系移民、そこからの連想で黒人も含まれる。これらの集団がターゲット化されて、ハイリスクグループと呼ばれるようになる。

 

事実関係が判明してきた時点で、アメリカ合衆国政府は治療薬の開発に緊急に取り組みつつ、感染の恐れがある行為を避けるように、というアナウンス活動をするべきだった。なのに、ハイリスクグループをつくって、このひとたちはリスクが高いけれどグループ外のひとたちはそうではないですよ、という宣言をしてしまった。その反面で、ハイリスクグループは自業自得だからまあしかたがない、とばかり、放置された。

 

 

●「ソドミー法は合憲」との州最高裁判決も

結局、ハイリスクグループを設定したことは、このグループに対する社会からの風当たりをいっそう強めていくことになった。ハイリスクグループだけが感染するわけではないことが知られても、「ハイリスクグループが悪いのだ」という話になってくる。要するに、「ゲイ男性がいるからアメリカはこのままエイズで滅ぶのだ」「ハイチ系の移民がいるから、麻薬常用者がいるから、滅ぶのだ」という雰囲気がどんどん高まってくる。これはアメリカでもイギリスでも同じこと。日本でもそういう雰囲気がなかったわけではない。

 

ハイリスクグループへの差別や偏見はどんどん高まっていく。ゲイ男性だけでなく、バイセクシュアル男性へのバッシングも強くなっていく。ゲイ男性は女性と性的接触を持たない(はずだ)が、バイセクシュアル男性は女性にもHIVを感染させ、そこからヘテロセクシュアル男性に感染させことになる、と考えられた。

 

この傾向を受けて、良くない意味でたいへん象徴的なできごとが1986年に起こる。ジョージア州には当時まだ残っていたソドミー法に対して、最高裁が合憲判決を出したのだった(Bowers v. Hardwick)。ジョージアのソドミー法は、成人間で同意に基づくものであったとしても、オーラル/アナルセックスを違法とするものだった。この判決は、ゲイやバイセクシュアル男性への抑圧に拍車をかけるものとなった(この判決は2003年のLawrence v. Texasにおいてすでに覆されている)。

 

<つづく>

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