パンズ・ラビリンス

[いぬのえいがひょう] vol.010
パンズ・ラビリンス (2006) El Laberinto del Fauno
1944年スペイン。仕立て屋の夫を亡くしたカルメンは娘のオフェリアを連れて、生活のためにと、男・ビダル大佐に嫁ぐ。
男・ビダル大佐は、男としてリーダーシップをとるのが大好きな権威主義者。
男ジェンダーの要請するナルシズムの充足を際限なく得るため、反ファシズムのレジスタンス狩りの指揮をとり、その周囲に、権力に媚びへつらう卑怯者=普通の男どもをはべらせる。
カルメンとの結婚も、自分のコピーとなるべき男の子を産ませるためのものだ。
童話に夢中のオフェリアを、男・ビダル大佐は軽蔑し、母カルメンは現実を知れと教え諭す。
カルメンの現実とは横暴な男性性の支配に媚びまくって生きることだ。
オフェリアの理解者は、男・ビダル大佐の小間使いメルセデス。彼女は、医師フェレイロと共に、陰でレジスタンス・ゲリラに協力している。
オフェリアは妖精に案内された牧神の迷宮で、嘘や苦しみのない地下の魔法の王国の姫であると告げられる。地上の世界に迷い込み記憶をなくしているのだと。
オフェリアには、地上の暮らしのせいでけがらわしい「人間」になってしまってはいないか試すための、3つの試練が課せられる。
嘘というものが一切ないという魔法の王国に憧れるオフェリア。
レジスタンス・ゲリラのかたがたや、彼らに協力したメルセデスやフェレイロが望むのも、嘘のない世界だ。
一方、嘘の支配に従いかしずくことが現実(だから仕方ない)とするカルメン。
嘘=現実、真実=荒唐無稽。認識がどうかしている。
そう、国家やジェンダーなど社会的捏造カテゴリーへの帰属による自己肯定とは、認識がどうかしちゃってる状態。
根拠のない嘘を真実と信じること。
男・ビダル大佐は、100%の嘘である男性性というものを追究し陶酔し続ける。
村人を共産主義者の疑いがあるととっつかまえ殴り殺し、捕虜には拷問。残虐で非道なこと「しか」しない。
このキャラクターは一見、漫画じみた薄っぺらい悪者と片付けられがちかもしれない。
ヒトは、善い面も悪い面も描いてこそ、深みのあるリアルな描写になるという見方から、そういう判断が出来る。
が、本当に誰にでも、善い面と悪い面があると言えるのか。
善であり悪であるキャラクター設定でよくあるのは、「傲慢な男でありながら、いざとなったら弱い妻子を守る男でもある」というパターン。
しかし、女子供が弱い立場になる社会を造りあげているのは男。
女子供を守る「男」であることがまさに、その女子供を弱い立場に立たせる社会構造を成り立たせている。
暴力を働いて弱らせておいて、その弱いかたを守ってやる、ということ。いやらしい隠蔽工作付きの自作自演だ。
傲慢な行いも弱者を守るのも、この場合どちらも「悪」なのだ。
男・ビダル大佐は、子産み機械のカルメンを、別に足が悪いわけでもないのに車椅子に乗せる。庇護対象の弱さを演出して、それを守る自分は偉いと、価値を捏造する。
妻子を養うために身を粉にして働いている自分は偉い、と嘯(うそぶ)く男のいんちきさが端的に表現されていてリアルだ。
社会教育によって巧妙に隠蔽されているが、これは、絶対悪なのではないか。
男・ビダル大佐は、国家の恐怖支配の下だからここまでの残虐行為を行えるが、大佐と同じようなことが出来ない平時の状況では、悪行の規模はたかが知れているので犯罪とは扱われないけれど、行動論理がそっくりな男は、多くいるのではないか。
これは、あちこちにいる威張り屋の男。捏造された絶大な権力でありジェンダー規範を見事に身につける性質のかた。
また、男・ビダル大佐と一緒に残虐行為を行う取り巻き連中とそっくりな者も、たくさんいる。
男の顔を立てて付き合うことが円満の秘訣だ、と、女性誌の恋愛特集は語る。
威張り屋の男に従うことを仕方ないとしている性質のかた。
どちらの性質のかたも、恐怖支配が蔓延した国家の下であれば、それに完全に合致するのだろう。
ところでこの映画。魔法の王国の王族も、ヒト型。ヒト型である必然性がまったくない。かわいくない。
いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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