グエムル 漢江の怪物
[いぬのえいがひょう] vol.014
A 社会的に成功した男
B 他に仕事がなく売春して暮らす貧乏な非婚女
C 犬
A、B、Cをそれぞれ殺害したとしたら、欧米の映画の中の描写では、非道なものとされる度合いの順番は、C、B、Aであることが多い。
非道さの度合いは、殺害者の卑怯さの度合い。
殺しやすかったり殺しても問われる罪が軽いほどその殺害は卑怯なことと言える。
ところが、現実社会の裁判でより重罪とされ、課せられる刑罰の重さの順番は、A、B、C。
卑怯なほう、非道なほうが刑が軽くなるという、おかしなことが行われている。
もちろん、ここに挙げた例のA、B、Cの選択は作為的だ。
例の挙げ方によっては、現実社会の罪の軽重評価が妥当な場合も多くあるだろう。
あるだろうけれど、間違っていない例が多くあるからといって、この例のようなおかしさがおかしくなくなるというわけでもない。
グエムル 漢江の怪物 (2006) Gwoemul / The Host
政府の化学廃棄物の杜撰な管理によって、巨大で凶暴な怪物が生まれてしまう。
ソウルを流れる大きな川・漢江に、ある日突然、その怪物が出現し人々を襲い出す。
河川敷で売店を営むカンドゥの娘ヒョンソは怪物にさらわれてしまう。
その直後、政府は怪物はウィルスの宿主"The Host"であると発表し、怪物の出現に出くわした方々は強制隔離される。
隔離中のカンドゥの携帯電話に、死んだと思われたヒョンソから電話が入る。
カンドゥは、ヒョンソは生きていると訴えるが政府関係者は取り合わない。
ヒョンソは、父、姉、兄と共に隔離施設を抜け出し、怪物の居所を探すのだったが…。
カンドゥら一家は、貧乏で、まぬけだ。
ろくな武器も持たず、あてずっぽうに怪物を探す。
そもそもヒョンソが怪物にさらわれたのも、カンドゥが間違ってヒョンソと間違えて知らない娘の手を引いて逃げてしまったため。
他、ドジばかり踏んでいる。見てないかたは見てのお楽しみ。
一方、怪物もドジばかり踏むまぬけだ。
彼らを管理しようとするのは政府の人々。
カンドゥたち底辺の国民は、まぬけだ。
政府は、まぬけだからどう扱ってもいいとする。
しかし、その底辺のまぬけたちは自分たちより価値がないと、根拠なく信じている側もまぬけだ。
しかし彼ら政府側もまた、まぬけ。
実は、そもそもウィルスなどはなかったのに大騒ぎしていたのだ。
これは、核を保有しているという言い掛かりでイラクを攻撃したアメリカ軍になぞらえているらしい。
まぬけとは扱われないまぬけだから、タチが悪い。
この作品で、唯一まぬけではないのが、怪物にさらわれた、ヒョンソ。
怪物の巣の中で、的確に状況判断し、脱出の方法を探り、怪物の巣に迷い込んだホームレスの幼い子を保護してゆく。
韓国政府は韓国の人々を保護しない。
カンドゥたちは、ヒョンソを守ろうとはするものの、守りきれない。
いつ怪物の餌になるとも知れない、最も悪い立場のヒョンソだけが、より弱い立場の者を守りきってゆく。
保護ということを行えたのは、ヒョンソだけ。
最底辺の社会的弱者を支えるのはいつも、別な、やはり底辺の社会的弱者。
社会的成功者が、まぬけでなかったためしなんかない。
まぬけじゃないかたはいつも、上辺からは見えない、底辺にいるみたい。
そして映画の最後…は、ばらさないでおきます。
社会権力を持ったまぬけは卑怯で恐ろしい。
現実の世界の秩序に沿って、生命の価値をA>B>Cと設定する、まぬけな者たち。
権力を持たないまぬけはお茶目で愛らしい。
そして、最大の社会的弱者は、有毒廃棄物により怪物と化した生物だった。
映画の世界の秩序に沿って、生命の価値を、C>B>Aとする生物。
卑怯じゃない、お茶目でかわいい、まぬけな生物だった。
ところで! そんなことより、いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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