なんのために生まれてきたの?
この作品を観てすぐに連想したのは、「卒啄(そったく)の機」ということば(ソツは口+卒)。ソツは卵のなかのひな鳥が内側から殻をつつく音で、啄は親鳥が外側から殻をつつく音。両側からのつつきがタイミングをはずすと、ひな鳥は殻から生まれでることができないので、親鳥は殻をつつくタイミングをきちんと見計らわなければならない、という無意味な教訓とともに語られる中国故事。
職業的教育者がこの故事を持ち出すときほど嘘くさいものはない。あんたらはつねにタイミング外しっぱなしだよねーと言ってやりたい。なにもあんたらが殻をつつく役目を専有しようとしてはた迷惑な使命感を燃やさなくてもいいしー。
あん、話がズレそうになっちゃった。クマが言いたいのはー、ひな鳥が殻をつつきはじめるタイミングを職業的教育者がじーっと待っていさえすれば、つまり、タイミングさえ間違わなければ無事にひなが生まれるわけではないということ。そもそもあんたのつつきかたじゃ殻は破れないんじゃないの? ってこと。
やん、まだフォーカシングできてない〜。卒啄の機ってつまるところは出会いの縁でしょ、ってこと。
で、以下ネタバレあり。
ジェニー(ヘンナー・ヘルツシュブルング)が殺人罪で服役している刑務所に、ベテランのピアノ教師クリューガー(モニカ・ブライブトロイ)が訪れたのは必然だった(と言い切ってしまおう)。
ジェニーは素行が悪く、先輩囚人たちにも看守たちにも反抗的かつ挑発的で、生意気で、触る者みな傷つける研ぎすまされたナイフのような子。風呂に入らず、身体中を発作的にかきむしる癖があるため生傷が絶えない。同室の仲間が首をつって死んでいるのを発見してもうろたえず、そのポケットからタバコを探り出してふかす肝っ玉の持ち主(たぶん感情が死んでいるという表現をしたかったのでしょう)。
けれども、所内の教会でクリューガーがパイプオルガンを演奏すると、その音に合わせて、机をオルガンに見立ててうっとりしながら優雅に弾く動作をする。ジェニーのその動きをクリューガーは鏡越しに見ていた。見て、はっとした。
所内でジェニーのピアノレッスンがはじまる。自殺した子もレッスン希望者だった。だが、彼女はもう死んでしまった。看守のミュッツェ(スヴェン・ピッピッヒ)もレッスン希望者だった。だが、クリューガーは彼にレッスンを受けさせなかった(ミュッツェは相当なオペラマニアではあったが、それとピアノを演奏する才能は別物だ)。えこひいきといえばえこひいきだが、教える者が生徒を選ぶのは当然だ。卵を外からつつく者は、自分のつつくべき卵を厳しく選別する。できることとできないことを峻別し、できることにだけ集中する。そこに「機会平等」という名の欺瞞はない。できないことに手を広げることによって、できることの可能性を削ぐようなことはしない。
ジェニーのレッスンは最初からコンクールに向けてスタートした。クリューガーはレッスンをおこなううえでの条件をいくつかジェニーに提示する。ひとつ、従順になること(反抗はダメ)。ひとつ、手指をケアすること(傷つけちゃダメ)。ひとつ、身体をきれいにしておくこと(不潔なのはダメ)。ひとつ、クラシック以外の低俗な音楽は演奏しないこと。ひとつ、個人的関心はないということ(これは条件というよりクリューガーのスタンス表明っぽいが、生徒のプライベートや人格にまでコミットする気はないという意味かも)。ほかにもあったかもしれないけどうろ覚え(汗)。
これらの条件は、一見、クリューガーが無作法者のジェニーを都合よくコントロールするための一方的な命令のように思われる。実際、ジェニーは「従順になる」という条件に関してはかなり抵抗を示した。けれどもこれらの提示条件は、ジェニーの破壊的なエネルギーに形を与えることで、彼女の自尊心を回復させるためのものだったのではないかとクマは思う。
「私はあなたを正当に扱いたいので自暴自棄な態度はとらないこと。あなたもきちんとした扱いを受けたいのなら(不当な扱いを受けて自尊心を傷つけられたくないのなら)、自らきちんとした態度で接しなさい。あなたが相手をバカにした態度をとるとき、あなたはまず自分のことをバカにしているのです」
……そんなメッセージ?(勝手な解釈) 自暴自棄な態度をとる→不当な扱いを受ける→つねに非常事態(精神が緊張状態におかれる)→感情のコントロールができない→また不当な扱いを受ける→自尊感情が低いまま→自暴自棄(以下略)という負の無限ループをどこかで断ち切らないとね。
クリューガーにはジェニーの才能がありありと見てとれたからこそ、そこに敬意を表してジェニーを正当に扱いつづけた。しかし、先輩囚人アイゼ(ヤスミン・タバタバイ)も看守のミュッツェやコワルスキーも、彼女を才能あふれるピアニストとは見ず(そんなふうに遇すれば相手がつけあがるだけだという貧しい発想からか)、殺人を犯した「新入り」の「囚人」としてしか見ない。そして自分たちが見たとおりの扱いをする。刑務所職員によるミーティングの際、ジェニーの才能を活かしてコンクールに出場させようと強く提案したのはカウンセラーの女性だけで、ほかの職員たちは「危険だ危険だ」と後ろ向きの発言しかしない。
あと、若かりしころのクリューガーには同性の恋人がいたというエピソードが明かされるのだけれど、あの恋人は同僚の従軍看護士で、ユダヤ人であると当局にバレて処刑されたのよね? で、クリューガーがナチスの高官と会話するシーンがあって、「君にゴミくず(だったかな? とにかくユダヤ人のこと)の友人はいないだろうな?」と問われ、その受け答えがなんだか無自覚なはぐらかしのような仲間を売った表現だったような(なんだかモヤモヤするのでもう一回観て確認してこようかと)。
そんな過去を知ってしまったせいか、最初のコンテストの際にジェニーが着てきた服(ヨレヨレの革ジャンに皮パン、薄汚い長袖Tシャツ)がTPOにふさわしくないとのことで、急遽クリューガーの着ていたグレーのワンピースと交換するんだけど、クリューガーがTシャツと皮パンを身にまとって居心地悪そうにしている様子がマジ笑えました(ここ笑うところだよね? と思ったけど観客席はシーンとしてた……)。クリューガーにほのかなブッチ風味を感じました。
それから、最後のコンクールになにがなんでもジェニーを出場させるために、クリューガーはミュッツェを味方につけて彼女を自宅にこっそりかくまうのだけれど、クリューガーのキッチンのゴミ箱から酒ビンを見つけたジェニーは、「親父(ジェニーの養父)がここに来たんだろう?! あんたは酒を飲まないと言っていた! 親父とグルになって私を騙したな! 金でももらっていたのか?!」と半狂乱になって暴れる。(なんでこのタイミングだったのかもう一度チェックしてきますが)その直後にクリューガーは「私は同性愛者なの!」と衝撃のカミングアウトをする。そしたらジェニーは半狂乱の弾みからか、「やっぱりそうだ! この薄汚い変態め!」くらいの罵詈雑言を吐き捨ててガスガス床を鳴らして部屋を出ていくのだが(ここでクマは「えーっ、そんな反応なの?」とビックリしたけど)、すぐに戻ってきて、「……え? ごめん、いま何て言った? 同性愛者?」みたいに、ちょっと反省モードでおとなしく聞き返すのが乗りツッコミみたいで面白かった。
恋人がいたころのクリューガーのエピソードが物足りない気がしたけれど、クリューガーは「個人的な関心はない」と最初に釘を刺しておきながらも、きっと心のどこかでは、自分の演奏を聴いて鍵盤を奏でるジェスチャーを我知らずやっていたジェニーと、自分の隣に寄り添いながら演奏を聴いていた昔の恋人を重ねあわせていたはず! とレズの深読みを楽しむゆとりがあるくらいがちょうどいいのかも。
あ、言うまでもなく、ラストの4分間の演奏は、ジェニーの激しいエネルギーがクラシックという形式に注ぎ込まれることによって、 とても斬新で素晴らしいものになっていました。 ドイツといえばノイズミュージック、という80年代的予備知識(ノイ・バウテンとかライ・バッハとか)があるせいか、新鮮味より一種の懐かしさを感じたりして。ジョン・ケージやスティーブ・ライヒやらの現代音楽や「赤い激流」「柔道一直線」を知らないほうが無邪気にピアノの妙技と新鮮味を楽しめるかも。ジェニーの演奏(の演技?)に魅了されながらも、「あ〜、あんな演奏したら二度とコンサートホール貸してもらえないよね。調律師が発狂するよ〜」とか頭の片隅で思ってしまうクマはつくづくイヤな大人になったもんです。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: なんのために生まれてきたの?
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.delta-g.org/mt/mt-tb.cgi/165





















コメントする