太陽
[いぬのえいがひょう] vol.019
太陽 (2005) Solntse
かつて戦争は、攻撃のために、相手を拒絶するために、わざわざ遠くの国まで爆撃に、出向くものだった。
けれど、近くにいる同胞の肉体にはそれまで以上、近づかない。
社会規範が定めている適正な距離以上、近づかない。
かつて戦争は、攻撃のために、相手を拒絶するために、わざわざ遠くの国まで爆撃に、出向くものだった。
けれど、近くにいる同胞の肉体にはそれまで以上、近づかない。
社会規範が定めている適正な距離以上、近づかない。
「私は国民の誰からも愛されていない、私を愛しているのは妻と子だけ」
そう語る、この映画の裕仁さん。
彼は、客がやってきたら、上位の椅子を勧める。
裕仁さんがぴったり寄り添えば、客は滅相もないと身をよける。
米占領軍の写真チームには、裕仁さんの3m以内に近づかないようにと言われるが、裕仁さんのほうからさりげなく近づく。
米軍兵士たちに「チャーリー・チャップリンに似ている」と言われれば、おどけてみせて喜ばす。
マッカーサー元帥に至近距離で顔を近づけて葉巻の火を移してもらう。
裕仁さんは、他者との親密な距離を渇望してやまない。
皆が皆、他者との距離をとりかねて、緊張を強いられている。
米駐在軍兵士たちからアインシュタインさんと名付けられた鶴だけがリラックスしてその場を闊歩する。
ソクーロフ監督が、この作品のひとつ前に撮った『ファザー、サン』では、父と息子の親密な愛を描かれていた。
素肌を重ねて互いへの想いを伝えあう父子。男友達とは、ぴったり寄り添って街を散歩する。
男と男の素肌の接触の多いこの映画に関して、「これは同性愛を描いた映画か」と問われたソクーロフさんは「低俗だ」と怒ったらしい。
ヒトには他者との安全な距離を確保する心理があると、心理学者は言う。
その距離ははたして、本当に、目の前の他者とのあいだの安全な距離を保つためのものなのだろうか。
本当に、目の前の他者が危険を及ぼすと思ってしまうのだろうか。
『ホモじゃないのだからそんなに近寄るな』と男に言う男がいる。
性愛の距離として、自然な距離、不自然な距離はどれくらいか。
友愛の距離として、自然な距離、不自然な距離はどれくらいか。
それを気にして、自然な距離を選んでいる。
しかしその自然/不自然の区分は、全く自然ではない、その社会限定で設定されているのもの。
彼の発言は、自身の希望を述べたのではなく、社会規範という権力を発動させた命令であり、その「自然」は不自然が自然を偽装したものだ。
偽装は、見ての通り、社会規範が望ましくないとする関係性を貶め排除することを目的としている。
危険を及ぼしてくるのは、目の前にいる他者そのものではなく、目の前にいる他者との関係を常時監視し続け、適正距離の侵犯を裁く社会規範なのだ。
『ファザー、サン』は愛を描いた映画だとソクーロフさんは言う。
男と男が寄り添うことは、同性愛とされる。
社会規範は、愛に適正距離を設定することで、社会規範自身の歯車として権力構造の中に組み込む。
同性愛に関して「憎みあうよりも愛しあうほうが良いに決まっている」と語るソクーロフさんが、同性愛かを勘ぐる質問を低俗だと言ったのは、その質問自体が、肉体的距離に社会的な意味づけを行なう権力を発動させている点だろう。
親子愛、異性愛、同性愛。
そういった名付けによる括りによって、社会権力との関係でしか他者と接触できなくなり、親子間、異性間、同性間で、親密な愛は疎外される。
『太陽』の裕仁さんも、自身に与えられた名付けによって親密さから疎外されていた。
社会規範の距離感覚を内面化した国民たちには、社会規範との関係というたった一種類のものだけが存在の証。
彼らは、裕仁さんにも、立つべき立場をたった一種類しか許さなかった。
裕仁さんが、侍従長に触れたくても、侍従長は身をよける。裕仁さんを嫌いなわけではないのに、身をよける。
誰かが誰かに寄り添うとき、それは親愛の表現。
触れ、触れ合うことに、傲慢な社会的な意味づけはいつも邪魔になる。
裕仁さんと妻は再会したとき、何度も「あっ、そう」、「あっ、そう」と、シンプルに互いを受け入れあって寄り添う。
彼女は、夫と話しているのでも、男と話しているのでも、立場と話しているのでもなく、裕仁さんと話していた。
裕仁さんは、自分がずっと掌ってきた立場について、「おおむね不便だ、よくないよ」と柔らかに返答する。
他者との無駄に遠い距離を、ずっとずっと捨てたかったのだろう。
その返答は、前作『ファザー、サン』への、それは同性愛だと距離を置く相手の「低俗な質問」に対する、やはり柔らかな返答になっていたと思う。
適正距離で戦争を起こし、適正距離で、互いに疎外しあう日常をつくりあげる人々の社会。
裕仁さんは、「あっそう」の一言で社会権力を越えて、寄り添う手を伸ばしていた。
『太陽』。エンド・クレジットの右下を御覧なさい。
距離の取りかたの意見相違で様々な無駄な悲喜劇を繰り返す人々の向こう、鶴のアインシュタインさんは軽く距離を越えて飛び続けているよ。
いぬは、じっと見て、ぴったりくっつく。
家畜でもペットでもなく、寄り添う、いぬ。
いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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監督: アレクサンドル・ソクーロフ
出演: イッセー尾形, ロバート・ドーソン, 桃井かおり, 佐野史郎, 田村泰二郎
字幕: 日本語
販売元: クロックワークス
DVD発売日: 2007/03/23
時間: 115 分
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監督: アレクサンドル・ソクーロフ
収録:『孤独な声』、『日陽はしづかに発酵し…』、『ファザー、サン』
出演: タチヤナ・ゴリャチョワ, アレクセイ・アナニシノフ, アレクセイ・シチェティーニン
言語: ロシア語
字幕: 日本語
販売元: 紀伊國屋書店
DVD発売日: 2006/09/30
時間: 309 分
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