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ロシアン・エレジー

2008年3月21日 21:00 いぬ
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[いぬのえいがひょう] vol.023

ロシアン・エレジー (1993) Elegiya Iz Rossii

末期ガン患者の死にゆく姿と、ロシアの民衆の姿が重ねて描かれる。

呼吸困難に苦しみ喘ぎ続ける末期ガンの患者。
為す術もなく体温は下がってゆく。


「どうして、自分がこうなっているのか誰もわからない」と、看病しているかたは話す。

荒れ果てた原野。

寒村。

寂れた埠頭にやってくる移民。

原野の向こうには、そびえる豪邸。

誰が住んでいるかもわからない豪邸。

ボロを来て暮らす納屋に暮らす開拓者たち。

開拓者として働き続けた者たちは、働けど働けど暮らしは良くならない。

貧しい者は、痩せ細った身体に鞭打ち、裸足で野良仕事。

一方、どこか近く遠くで暮らすのは、肥え太り華美な衣装を身にまとう貴族たち。

貴族たちの富を肥やすため、彼等の栄華のために仕掛けられる戦争。

戦争で前線に行く者は貧しい者。

貧しい者でも、兵士になれば裸足ではなくブーツが貰える。

そして向かう先は死に溢れた、戦地。

戦地の湖に死んだ兵士が沈む。

沈んだ死体は水底で魚の餌になる。

冷えゆく季節、湖は凍りつき、湖のふもとには、眠る幼な子。

すやすや眠る。安らかな寝息。

安らかな寝息のむこうの草むらには、鶴が闊歩している。

幼な子の、安らかな寝息。
鶴は、聴いているのか、聴いていないのか、わからない。

死にゆく者も、発作がおさまっているつかの間、安らかな寝息を立てている。

死にゆく者の、安らかな寝息。
鶴は、聴いているのか、聴いていないのか、わからない。

鶴は、緑の生い茂る湿原にいる。
幼な子と死にゆく者は、原野にいる。

「生と死が同じものなら、何故誰もが死にゆくのか」
同監督の『孤独の声』にあった台詞だ。

一生は、一握の、苦痛に満ちた夢なのか。
わからない。

豪邸に住む者にとってもそうなのか、原野にいては、わからない。

映画は、観客を原野に置き去りのままに終わる。

でも、スクリーンのこちら側は、原野じゃない。

原野から、こちら側は見えない。

原野に置き去りなのは誰。
死んでいった誰か。死にゆく誰か。

こちら側からも、こちら側は、見えない。

こちら側にいるのは誰。
死んでいった誰か。死にゆく誰か。

こちら側に、鶴は、いるだろうか。

こちら側に、誰か、いるだろうか。


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