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フリーダム・ライターズ

2008年4月11日 00:00 いぬ
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[いぬのえいがひょう] vol.026

フリーダム・ライターズ (2007) Freedom Writers


実在の英語教師エリン・グルーウェルと、ウィルソン高校の生徒たちによる同名の原作「フリーダム・ライターズ」を基にしている。

商業的に脚色されて、事実と異なるものにならないように、モデルになった実際の生徒たちが脚本の監修に入ったらしい。

1994年、ロサンジェルス郊外のウィルソン公立高校に赴任してきた国語教師エリン・グルーウェルと、同じ高校の生徒たちによる書籍を基に製作された映画。

1992年のロス暴動以来、激しさを増した人種間の対立は、彼女が受け持つ教室にも影を落とし、生徒たちは人種ごとに徒党を組み一触即発の状態。

銃やドラッグがはびこり、その日を生きるのに精一杯で誰も将来のことなど考えようともしなかった。

ある日、授業中、ヒスパニック系の少年が、ある黒人生徒を描いた似顔絵をノートの切れ端に描いて回覧し、その反応を見て笑っていた。

その似顔絵は、唇がやたらと大きく描かれ、対象となった生徒だけでなく、黒人全体を馬鹿にしたもの。

咄嗟にその絵を取り上げて見て愕然としたグルーウェル先生は生徒たちを非難する。

「これと同じものを博物館で見たことがあるわ。ユダヤ人と黒人は人類で最も下等だとね」

そこから、グルーウェル先生は、第二次世界大戦のユダヤ人迫害が同じような人種差別の絵(ユダヤ人の鼻をばかでかく誇張した漫画)から始まったことをわかりやすく教えてゆく。

そして、この事件を期に、グルーウェル先生は教材として、「アンネの日記」を使い、ホロコーストの歴史を授業の中心に置いて、生徒たちがアンネ・フランクのように自分の思っていることを自由に書けるように指導してゆくことになる。

当初、反抗的だった生徒たちも徐々に文章を書くことの意味に目覚め、グルーウェル先生を「ミスG」と呼び慕うようになっていく。


劇中での授業で触れられたのは以下4点。

・アンネ・フランクの日記から、ナチス・ドイツの行ったホロコーストについて

・ストリート・ギャングとしての生活の現実

・アメリカ公民権運動下での、バス・ボイコット運動

・ギャングスタのミソジニーと暴力


これは、ヒト社会のことを完璧に網羅しているカリキュラムではないか。

ヒトがヒトとして作るヒトの世の中の解析は、この4つを繋げて応用すれば、これで事足りるのではないか。


学校内で優等でも、学校の外では不良の生徒たちは、良識を自認するかたがたから軽蔑の目を向けられる。

黒人のコミュティに嫌がらせをするために偽証するようにヒスパニック系のコミュニティである家族や隣人たちから圧力をかけられる生徒がいる。


ミスGは生徒たちに、教えてはいない。

教えたのではなく、生徒の知らない情報を伝えただけ。

身の回りで、これが現実だと断定されているものを現実と信じていた生徒たちは、自分たちの内にある、現実を解釈する力を引き出したのだ。


そうして学校教育に思い描いていた夢を叶えてゆくミスG。

一方、ミスGの制度婚パートナーは、かつて自分のしたかったことを諦めて、平凡な社会生活を望むようになっていた。

しかし、何故諦めたのかを一切説明しない。

「現実だから仕方がない」と言うばかり。

それが説明になっていると思っているのだろうか。

更に彼は、ミスGのやり方を「普通じゃない」という理由で否定する。


彼は、ミスGの「普通じゃない」情熱には説明を求めながら、自分自身について、説明をしない。

ミスGに何故なのか訊かれると、彼は怒り出す。


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きっと、彼は聞く耳を持ったらまずいのだ。

ミスGの単純な質問は、夫の信じる「現実」の根拠のなさを暴いてしまう。

「現実」をよくわかっているのは偉いことで、偉いのは自分、というナルシズムを覆してしまう。

その「現実」は、現実なのではなく、事なかれ主義の権威追従という偏向イデオロギーに過ぎないことを暴いてしまう。

それを避けるために、ミスGの言うことに耳を貸さず、彼女の成育環境に「普通でなさ」の起源を探すことに躍起になる。

何か「異常」なものはないかと。


ミスGの言動には矛盾はない。矛盾があるのは彼の言動のほうだ。

「異常」を検証するのなら、矛盾があるほうを探すべきなのに、矛盾のないものを探るとは、なんと非論理的なのだろう。


一貫性のなさは説明責任が免除され、一貫性があるものは説明責任が課せられる。

普通のことには説明責任が免除され、普通でないものには説明責任が課せられる。


ノートの切れ端に描かれた似顔絵は、これは「普通」の「冗談」だからと、説明責任の回避を目論んで描かれたものだ。

ミスGは、まずそこに説明責任を課した。

それは善でも悪でもなく、単に、論理的な判断から導かれる責任だ

論理的であるということは、教育者として理想的な態度と言えよう。


数年前の日本で、「自己責任」という言葉を「普通でない者」に押し付けることが流行した。

その流行は、今後の日常に定着するのか、廃れていくのかは、まだわからない。

昨今の日本だけではない、世界中で、ミスGの制度婚パートナーのような「普通の者」が、まさに普通であることを武器にして責任回避をしてきたこと。

その責任回避の説明責任が、いつか果たされることがあるのかは、まだわからない。


ところで! そんなことより、いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!


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