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つぐない

2008年5月 9日 10:00 いぬ
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[いぬのえいがひょう] vol.030

つぐない (2007) Atonement

 

1930年代の英国。資産家の政府官僚の家で暮らす姉妹、セシーリアとブライオニー。

姉セシーリアは使用人の息子ロビーと恋愛関係になり、図書室で肉体関係を持とうとするが、その現場を、小説家志望で夢見がちな妹ブライオニーに目撃されてしまう。


ロビーがセシーリア宛に書いた卑猥な言葉で性欲を伝える手紙を盗み読みしたブライオニーは、その件でロビーに嫌悪感を抱いていたこともあり、図書室での行為を、ロビーが嫌がるセシーリアを辱めていたのだと解釈してしまう。

 

その夜、屋敷近くの林の中で、ブライオニーの学友ローラが大人の男に襲われ猥褻行為をされる。

その現場に出くわし、逃げていく男を見たブライオニーはローラを襲ったのはポールという男だとわかっていたが、犯人はロビーだと断言する。

 

ブライオニーの偽証によって、ロビーは刑務所に収監される。

 

そして数年後、戦争が勃発。

 

ロビーは、刑期を短縮するための交換条件として軍隊に入隊し、前線に送られ、劣悪な戦地の環境で病死する。

 

従軍看護士になったセシーリアは、ブライオニーとは疎遠になり、ロビーが解放されるのを待ち続けるが、空襲から避難した先の地下道が破壊され、流れ込んだ水流の中で溺死する。

 

ブライオニーは、かつての自分の偽証が招いた結果に責任を感じ、そのつぐないだと言って何故か看護士見習いをしていた。

 

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時は流れて、1999年。小説家として成功してきた77歳のブライオニーは、「これが私の遺作です」と『つぐない』という作品を上梓する。

そこに書かれたのは、かつての、ロビーとセシーリアとブライオニーを巡る出来事だった。

 

ブライオニーは、TV局のインタビューを受け、『つぐない』では、装飾抜きで真実を語ろうとしたとコメントする。

そのコメントから、ブライオニーは、まず真実「現実というものの真の姿」があって、装飾は後から付与されるものだと認識していることが伺える。

 

幼い日、ブライオニーは「私が危険な目に遭ったら助けてくれる?」とロビーの目の前で川に飛び込んだ。ロビーは溺れる彼女を助け、「何の冗談だ! 二人とも死んでしまうぞ」と怒るロビーに、ブライオニーは「あなたは命の恩人。一生忘れません」と繰り返した。そのときブライオニーは、古くから語り継がれた恩義と誓いの物語に出てくるような言葉を参照した自己陶酔で彩られた世界を見ていた。

 

図書室で目撃した出来事を、ブライオニーは性暴力が行われていると解釈した。当事者であるロビーとセシーリアはそれを性暴力とは解釈していなかった。

 

ブライオニーは、後になって、自分がしてきたそういった解釈は誤りであったと認める。

 

しかし、はたして、川での出来事はともかく、図書室での出来事に関しては。ブライオニーの解釈が誤りだったと言い切れるのだろうか。

 

図書室で、ロビーはセシーリアの身体を硬い書棚に押し付け、下から突き上げていた。

セシーリアはそういうふうに好きな男に乱暴に欲望されることに快感を抱いていたようだ。

行為は、互いの自由意志に基づき、合意の上で行われた。

 

しかし、セシーリアは女で、ロビーは男なのだ。

セシーリアが、日々女として存在することによって繰り返し、女という幻想の概念に同一化している。

ロビーは、日々男として存在することによって繰り返し、男という幻想の概念に同一化している。

男や女という「装飾」によって自己を規定し続けている存在なのだ。

 

女が男に下から突き上げられる快感はまさに、女と男の交代のきかない性差の装飾がもたらすものではないのか。

更に、その快感を味わうことで、女にはまた新たに女という装飾が付与される。

根拠のない、女という装飾を真実と感じることがまさに女を自認すること。女は、女になり、女になり続けることで、女を維持するのだ。

 

また、ロビーとセシーリアが引き裂かれた後に描かれるのは、『雨月物語』など昔からある、男を待ち続けて死ぬ女の美談だ。

セシーリアは、内面化した装飾たちが語る「女らしさ」と一致した「一途に男を待つ」という行動をすることで「女らしさ」に陶酔し、記憶の中の、好きな男に突き上げられて味わった「女らしい」快感を美化する。

 

ブライオニーの解釈から明確な誤りを探すならそれは、ロビーが一方的な加害者でセシーリアが一方的な被害者であるという点だ。

 

そこに辱めがなかったとは言えない。

セシーリアはどこまでも女であろうとし、ロビーはどこまでも男であろうとした。

セシーリアは女であることで、ロビーは男であることで、女を、そして男や女という装飾を自らに課さない者を、辱めている。

 

ところで。ブライオニーが書いた作品の中では、最後にセシーリアとロビーは再会し、幸せな関係を築きなおすという改変が行われた。

戦争の渦中で死んでいったセシーリアとロビーに小説の中で永遠の幸福を与えることが、自分のつぐないなのだと、ブライオニーは満足気に語る。

自分が幸せになる小説を書かれたところで、実際のセシーリアやロビーは幸せになるわけではないのだから、ブライオニーのつぐないは一見、見当外れの自己満足とも思える。

 

しかし、ロビーやセシーリアは所詮、社会の主な成員たちの継続的な装飾によって造られた現実に依存して存在する、男や女なのだ。

存在様式において、小説の登場人物たちと何が違うというのだろうか。

 

この映画は、タイプライターの打鍵音をパーカッションとして用いた劇伴音楽が印象的だ。

 

タイプライターが音を立てて、言葉を紡ぐ。

ありきたりの言葉が、繰り返し繰り返し現実を装飾することで、現実はつくりあげられ、継続してゆく。

男や女とは、社会という共有概念との関係においてのみ、存在が可能なのだ。

ブライオニーのつぐないは、男であるものや女であるものに対しては、全くもって妥当なのかもしれない。

 

また、言葉は、装飾を駆使して現実をつくりあげる一方、つくりあげられた現実に、異なった装飾を与え再解釈することもできる。

 

すなわち。

 

いぬかわいい。

 

いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!

 

 

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【関連サイト】

・公式サイト(http://www.tsugunai.com/

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