岸本瑠可の設定はなぜブッチレズビアンではダメなのか?
[名前はまだない 002]「『ラストフレンズ』考」
コラム連載第2回から原稿アップが遅延してしまって申し訳ない。今回は巷で話題のTVドラマ『ラストフレンズ』について言及する予定で、5月15日(木)第6回放送を見届けてから書こうとしたら、この回の展開で「???」となり躊躇してしまったが、気を取り直してGO!
『ラストフレンズ』を観てないかたにはなんのことやらさっぱりわからないと思うが、「観てないかたのためガイド」はあえてしません(公式サイトなどをご参照ください)。また、ドラマの動画をご覧になりたいかたは自力で探してみてください。という不親切さをあえて貫きとおす。
そして、ドラマ全体への包括的視点は持ち合わせていないので、【キーワード】を取り上げて、それについてのメモ書きスタイルでいく(すでにコラムではない……)。
【マグカップ】
第1回の冒頭で、妊娠した美知留(現在)が一人暮らしをする部屋で使っているマグカップは、美知留がシェアハウスにやってきたときにタケルがプレゼントしたもの(柄違いでタケル、瑠可とおそろい)だった。同じ回で、美知留(過去)の誕生日に宗佑がプレゼントしたのも、宗佑とペアのマグカップ(白地にシンプルなラインが入ったもの)だったが、これは現在の美知留は使用していない。ということは、現在の美知留は宗佑から完全に気持ちが離れていることを意味していると考えられる。
ちなみに、第1回で瑠可とタケルが雑貨店でニアミスしたときには、二人とも同じ色柄のマグカップを手にとっており、瑠可が購入した直後タケルとぶつかって欠損した紫のマグカップは、のちにタケルが修理して自分用に使い、瑠可にはブルー、美知留にはピンクのものをプレゼントしている。
各自の色の配置も重要なメッセージを物語っている。タケルの紫は、瑠可のブルーと美知留のピンクの中間色であり、このことは後に述べる【美知留と瑠可をつなぐハブとしてのタケル】にも関わってくる。瑠可が買ったのはもともと紫だったのだから、その色を瑠可に譲り、タケルがブルーを選ぶという道もあったはずだが、タケルは美知留と瑠加の中間に位置していること、タケル自身が二人のあいだに割って入りたいという欲望を示唆しているといえる(このことは、美知留と瑠可を引き裂く存在として、宗佑は見かけ上の障害であり、真の障害はタケルであるということを物語ってもいる)。
また、瑠可にブルーを選んだのは、「ピンク=女の子色」を瑠可が好まないことをタケルが察知している証左でもある。もっと言えば、瑠可が自分の女性性に疑問と抵抗を示していること、瑠可の性自認が「女性ではないこと」を察しているといえる(瑠可がボーイッシュで、美知留に思いを寄せているからといって、瑠可の性意識を「女ではない」「男である」とみなすのは、GID概念が一般に定着しつつある現代における短絡思考といえる。一昔前なら軽侮を込めて「レズじゃないの?」と疑われるところだ)。
ついでに言うと、タケルは瑠可と会って間もないにもかかわらず、瑠可が自身の性自認について揺れていることを悟っており、ほとんど接触を持っていない宗佑が、「女の体の中に男の心が入ったバケモノ」とまで見切っているのに、長い間友人だった美知留や家族が瑠可の性意識についてまっっっっっったく気づいていないというのは、意外にリアルな設定である。岡目八目というやつか。
【肉体的暴力だけが暴力じゃない】
第6話、こわかった。なにがこわいって、宗佑が物理的な暴力を行使しなくても美知留がすっかり洗脳状態に入っていたこと。殴って怪我をさせたり血を流したりするのは表層的な恐怖にすぎない。ドアチャイムが鳴っても無反応で、タケルに声をかけられてもほぼ無表情。このドラマにおける長澤まさみの演技は下手だ下手だと思いつづけてきたが、このシーンだけは例外的に印象修正。
暴力をふるわれている状況から逃げ出さないのは、逃げ出さない当人にもともと被虐嗜好があり、暴力の対象となることにマゾ的満足を覚えているからではないか、などと言われることがある。そこらへんの素人ではなく、精神科医が言うのだ。専門家によるこのような所見が、ともすれば加害者擁護に用いられることもある。
しかし、カルト的な新興宗教に洗脳されたひとびとはどうなるのか。もともとかれらには被洗脳嗜好があって、洗脳されることにマゾ的満足を感じるからだとでも言うのだろうか。支配や洗脳のプロセスを知っていても、ことカップル内の女性となると、暴力被害の原因を「被虐趣味」「マゾ的快楽」などの個人的資質に還元しようとするのは、いったいだれの都合なのか。
確かに、宗佑には宗佑なりに、暴力をふるってしまう理由はある。こどものころに母親に捨てられた体験は同情に値するかもしれない。しかし、だからといって、かれのふるった暴力が相殺されるわけではないし、「暴力をふるわれた側にも原因がある」「殴られるようなことをした美知留も悪い」と言ってしまうのは明らかに間違いだ。
【相手を失うのが怖い】
相手を失うのが怖いから、がんじがらめに縛り付ける。——宗佑
相手を失うのが怖いから、相手の望みにはなんでも応えようとする。——美知留
相手を失うのが怖いから、最初から深入りしない。気を許さない。——瑠可
相手を失うのが怖いから、相手に先回りして余計な世話を焼く。——タケル
相手を失うのが怖いから、突き詰めあわない。——エリ
スラヴォイ・ジジェクは、自身が出演する『倒錯的映画ガイド』において、「信じられる感情は不安だけ。あとの感情は見せかけにすぎない」と語る。うへー、ぴったりあてはまる。ちなみにミヤマは瑠可とエリの中間かな。このふたりはお互いの違いを披瀝しあっていたが、じつはとってもよく似ているのだ。パーソナルスペースの広さが違うだけ。パーソナルスペースの尊重を、「このひと、私に興味ないんだな」とか「冷たいひとだな」と受け取られるのは、悲しいけれどもしかたがない。
【美知留と瑠可をつなぐハブとしてのタケル】
タケルはこれまで何度となく「君(瑠可)の気持ちが手にとるようにわかる」とナレーションの形で独白してきた。タケルが「わかる」というのは、「瑠可が自身の性自認について揺れていること」と「美知留に寄せる思い」だろう。
そして、瑠可の「気持ちが手にとるようにわかる」あまり、瑠可を通して美知留のことまでわかってしまう。第5話でシェアハウスを去り、宗佑のもとに帰ってしまった美知留のあとを追わなかった瑠可に代わり、タケルは美知留のその後を追跡する。
幼少時に実姉から性虐待を受けたと思われるタケルは、恋人から虐待されて心身ともにダメージを受けている美知留の姿がかつての自分と重なるからこそ、美知留を放っておくことはできなかったのだろう。タケルが女性から性的に迫られることに嫌悪を抱いたり、映画のラブシーンを見るのが耐えられないのは、自身の性虐待体験を想起させるからと考えられる。虐待の被害体験をもっている点でタケルと美知留はつながっており、自分のセクシュアルヘルスが失われている点で、タケルは瑠可とつながっている。
タケルは瑠可の気持ちも美知留の状況も「手にとるようにわかる」からハブ的役割として適材なのだが、タケルの細やかな配慮と行動力はときとして相手に誤解を与える。この続きは、次の【瑠可の鏡としての美知留】の後半で述べる。
【瑠可の鏡としての美知留】
上野樹里の演技と存在感が抜群に素晴らしくて、ついつい「瑠可の設定はカンペキ!」と思いがちだが、「(長澤まさみ演じる)美知留のどこがいいんだよ!」という疑問は初回から爆裂していた。(長澤まさみ演じる)という部分が特に重要なのだが、「健気に幸福を追い求める純粋な女子」を演じるには無理がある。ぶりっ子してるようにしか見えないのだ。長澤まさみには、もっと腹黒いダークなキャラが似合っていると思う。
とはいうものの、瑠可が美知留に(設定上)魅かれるもっともな理由が見えてきた。瑠可の性自認の揺れと、美知留の宗佑との関係の揺れがシンクロしているのである(おそらく、高校時代には、美知留は両親のことで揺れていたのだろうと思われる)。親密な関係の揺れからくる不安を、見せないようにしながら健気に振る舞う美知留に、瑠可は自分を見るような思いがして魅かれるのだろう。
だが、瑠可は自分の揺れを「いままでだれにも言ったことがない」。言ったことがないということは、自分でも言語化していないということだ。「男性/女性」という性別区分は、通常のひとにとっては自己を規定する根幹として自明のものだが、その根幹が揺れていれば言語化どころではない。語りにはポジションが不可欠である。ポジションが定まらなければ語りは成立しない(たとえば、トランス系女子には「長い間一人称が使えなかった」というひとが少なくないため、自分自身を第三者に語ることができず、第三者もそれを語りとして聞き取るのが困難である)。瑠可は「本当の自分を知られたら、みんな去っていく」と言うが、それは見せかけの理由でしかない(といっても当人はその見せかけの理由を信じているのだが)。
「いままでだれにも言ったことがない」自身の揺れに、自ら手を突っ込むことはできない。突っ込めば揺れはさらに激しくなって混乱するからだ。それは美知留に対しても同じで、そこに首を突っ込めば瑠可自身が混乱する。美知留は瑠可自身だから。瑠可は自分に対しても美知留に対しても距離をとっていなければ平穏ではいられないのである。
ところで、タケルは自身のセクシュアルヘルスが失われていると先述したが、かれの性自認は揺れてはいない。かれの一人称は「オレ」であり、自分の性別が男であることに疑問は抱いていないし、ゲイのように「男の記号」に対して性的に魅かれることもない。媚びを戦術として性的にアプローチしてくる「女らしい女」が苦手なだけで、瑠可のような「女らしくない女」なら好ましいと思えるのである。
好きになれる相手と出会えたことはタケルにとってラッキーだが、瑠可にしてみれば、男の性自認を持った男に告白されることは、このうえない悲劇である。「男とか女とか関係なく、ひととしてちゃんと尊重して、距離守って付き合ってほしいんだよね」という瑠可の価値観にタケルは賛同したが、そういう価値観をもった瑠可だからこそ惚れてしまうという必然的な矛盾が起こる。
というか、瑠可と出会うまでは揺れていたセクシュアリティが、瑠可という理想と出会ったことで揺れずにフィックスした。揺れのないセクシュアリティで向き合われると、瑠可のセクシュアリティは余計に揺れてしまう(しかし、なぜあのタイミングで告白したのか。瑠可の「気持ちが手にとるようにわかる」タケルなら、瑠可があのときなにを言おうとしたのか、自分が先に告白することで瑠可がどんな反応をするかまで想定できてもおかしくないはずなのだが、自己肯定感の低い瑠可に先回りして相手をチアーする目的で「好きだ」と言ったのだとしたら、そのような思惑は瑠可にはまったく「わかる」ことができないという非対称な関係なのだろう)。
タケルの揺れのなさは美知留にも波紋をもたらす。宗佑との関係の揺れから救い出してくれたのは瑠可ではなく、タケルだった。「愛されている実感」を得ることを重視する美知留は、自分を放置している瑠可には「嫌われているかもしれない」という不安を抱く一方、自分に「かまってくれる」タケルに好意を寄せはじめる(これは第7話のスポットから)。「なんでそんなに私にかまってくれるの? 私のこと好きなの?」という、ヘテロ女子の都合のいい誤解である。「愛する」ことより「愛される」ことを求めるのは女子の本質ではないよ。
そういうわけで、ハブ的存在として適役なタケルは、適役ゆえに自らハブのポジションから滑り落ちていくことになるのだろう。南無阿弥陀仏。
*エントリタイトルと内容がまったく噛み合っていないのは、ミヤマの筆力不足です。あしからず。
***
思いのほか長くなってしまったが、まったく無関係に、唐突にお知らせ。
われらが女のバイブ屋『ラブピースクラブ』にて、ミヤマのコラム連載がスタートしています。コラムタイトルは『タフなまんこ』(北原みのり編集長の命名)。
さっそく、font-daさんがご自身のブログ『キリンが逆立ちしたピアス』で言及してくださっている!!! うわあ、うれしい!!!
まんこ語りを聞くのって、そんなにどきどきしますか? えろえろですか? 医者の診察のように冷静にまんこ問答するミヤマは、それよりfont-daさんが言及してくださったことにどっきどきです!
>ミヤマさんのエッセイを読んで、ふかふかのまんこや、粘膜が敏感なまんこ、痩せ型のまんこなど、ぜひ触って試してみたいと思った。
えーと、まずは爪を短くしてくださいねー。爪のお手入れは対まんこセーファーのイロハですからー。
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ミヤマさま。
こんにちわ。このブログ上では、初めまして。
私も、ラストフレンズは欠かさず見てます。
前回のラストは何でしょう?!あんなに、自分を傷つけないために空気を読んできた、タケルくんがあんなことを。。。
さて、ミヤマさんの「なぜルカがブッチレズビアンではいけないのか」という意見に賛成です。
実は、第一話を観た後、あたくし、ルカのかっこよさにマンコが濡れました。あの目線、仕草、笑顔。。股間に伸びるその手をピシリと叱り、パソコンを開け、そのままラストフレンズの公式HPのブログに投稿をしたんです。
そこで書いたのは、ルカがかっこよすぎること、レズビアンを描くドラマがあって嬉しいこと、DVの描写がよく研究されていること。
しかし、先日、そのブログを見たら、あたしのコメントがないじゃありませんか!!
そこであたくし、腹いせに全部のコメントを観てやったところ、ルカが実は性同一性障害とわかる回までも、レズビアンのレの字も、ビの字もないのです。
これって、フィルタリング??!
ちなみに、あたしの同居人が前回のラストについて、あれはないだろうと投稿したら、見事コメント掲載されてませんでした。
とはいえ、まだまだ見続けます。
torakoさま
コメントありがとうございます。
>ミヤマさんの「なぜルカがブッチレズビアンではいけないのか」という意見に賛成です。
わー、タイトルだけで逃げた卑怯者のわたくしに賛成してくださるとは、ありがとうございますー。
瑠可はGIDだとしても「それはないだろうに」という部分がありますよね(身体の線がはっきり出るような服装はしねーよ、「わたし」という一人称はまず使わねーわな、など)。
瑠可がレズビアンかGIDかはっきりしないのは、あえてそういう設定にしたということらしいけれど、ヘテロ制作者に都合よく扱える(ヘテロにとって納得しやすい)キャラってだけのことかもしれません。消費材としてのセクバラ女子ですね。。。
>これって、フィルタリング??!
検閲ですね。フィルタリングもその一種ということで。
番組に批判的な意見・感想は掲載しない方針なのでしょう。
視聴率に響くことは避けるでしょうから。
なにはともあれ、お互いラスフレチェックを続行しませう。
ミヤマさま
はじめまして、ではないのですが、、
このコラムを読んで気になったことがあるので
初めてコメントさせていただきます。
マグカップのことですが、タケルがプレゼントしたのは
ミチルにだけで、ルカは自分でブルーのを買ってきたと
記憶しています。
タケルがシェアハウスに越して来たときに、
紫のを修理して持ってきたのを見て、おそろいは
嫌だと確か言っていました。
すみません。こんな揚げ足を取るようなコメント、
不適切と思われましたら、削除してくださいね。
ちなみに私も公式サイトに投稿しましたが、
「もう禁断愛という表現はやめませんか。。」など
見事に検閲されました。
私はGIDなのかトランスジェンダーなのか
レズビアンなのか、まさに未だに揺れております故、
一人称は私と言っているし(性同一性障害なる言葉が
出る前の世代なので)胸も完全には潰さずにいました。
逆に往生際が悪い気がしてて、、お恥ずかしいですが。
だから、瑠可はかなり近い存在で
どっぷりラスフレに浸かってしまっていますが、
Lword の風にのって、ブッチレズビアンの設定
のも見たいです。ミヤマさん的には、のが見たい
ですよね。
これから多様なものが増える気がします。
いきなりで、長々と失礼しました。
rukaさま
コメントありがとうございます。
>マグカップのことですが、タケルがプレゼントしたのは
ミチルにだけで、ルカは自分でブルーのを買ってきたと
記憶しています。
えっ……? と思って再度動画チェックしたら、その通りでした。すんません。ご指摘ありがとうございますー。
しかし、瑠可が青を自分で買い直したということから、ベタながらも新たな考察が可能ですよね。女か男かあいまいな境界線上(紫)から、男(青)の領域に入ることを選択した、と。むむむ……。
それにしても、タケルに対して「ゲイじゃないの?」と疑う科白がいくつか登場するということは、からかい半分ながらもゲイという存在を認知しているといえますが、瑠可に対してはだれも「レズなんじゃないの?」とは言いませんよね。レズビアンのレの字もドラマには出てきません。それくらい、レズビアンはいなことにされています。不自然なくらいに。
こどものころからスカートよりズボンばかり好んで、「女の子らしくない」遊びに興じてきたレズビアンはたくさんいます。瑠可自身、「わたしは普通の女の子とは違う」と言ってますが、GIDでなくとも「女らしくない女」でもいいはずです。
GID概念がまかりとおる日本においては、性別のグラデーションがひじょうに狭くてきついということを物語っています。英米にはトランスもびっくりなdykeがゴロゴロしているそうです。うらやましい。
>Lword の風にのって、ブッチレズビアンの設定
のも見たいです。ミヤマさん的には、のが見たい
ですよね。
見たい、というか、瑠可はブッチ以外の何ものでもないですよー。あるいはcuteなdykeかな。
自分の女性性を受け入れられないいまの瑠可は、そもそも性別二元論に異議申し立てをしたいというスタンスではなく、単に内なるミソジニー(女性嫌悪)を抱えているだけではないかと思えます。「女」規範に縛られるのがいやだから「男」規範に縛られることを選んだというだけで、結局は性別の呪縛にとらわれている〜。見ているこっちがしんどいす。。。
「女でいたくない」というのは、外部から不本意な「女性性」を押し付けられるせいなのですが、そこで押し付ける「外部」を否定するのではなく、なぜか「女性性」を否定してしまう。それで結局、押し付けられた性イメージを鵜呑みにするだけで、ポジティブな性イメージを創造できないことが、自己肯定感の低さにつながっていると思います。
……って、また瑠可ネタでコラムひとつ書けそうなくらいコメントしちまいました。
ミヤマさん
GIDとトランスジェンダーとレズビアンってどう違うのでしょうか?今まで完全にごっちゃになっていました(汗
あとブッチとはdykeとは・・もしお時間あったら教えてやってください。
そういう情報には触れずにきたので、よくわからないのですが、自分もたぶんすなおに女性であるというわけじゃないんだろうなと感じる者なので、その辺気になるのです。
ボーイッシュな服装の方が好きながら、周りに合わせた方が楽と気付いて多少女の子らしい格好をするようにはなったものの、男子にはカケラもときめきを感じないし、女子には時々きゅんとすることがまだあり、といった感じで。性交渉はむしろどちらともしたくないのですが。。自分の性っていったいなんなんだろうと思うことがよくあり。私事ですみませんが。
あと、ラスフレの最終話で気になったのですが、瑠可はあんなに女性性を嫌悪していたのに、なぜタケルと行為に及んだのか理解に苦しんだのですが、どういう心境の変化だったのでしょう。タケルへの同情ですかね? それにしても自らのアイデンテティを翻してまで・・?
ryokoさま
コメントありがとうございますー。
>GIDとトランスジェンダーとレズビアンってどう違うのでしょうか?
専門的に見れば細かい違いはあるようですが、現実にはグラデーションで重なりあっているんじゃないかと思います。
わたしは身体違和はあまりないけれど(女体ライフをそれなりにエンジョイしてますv)、性別(男女の線引きをどこまでもきっちりつけたがる社会規範)違和はずっと感じてきました。女子を好きになる以前に、「お前はオトコなのかオンナなのかわからん」という疑問を周囲から突きつけられてきて、どっちだか確信の持てないままこのトシまで生きてきました。
なので、わたし自身はTとLの交差した点に位置していると認識しています。
GIDは診断名ですが、当事者にとってはこの診断名がアイデンティティになることもあるでしょうね。
ブッチとdykeについては、わたしはこれらの言葉が英語圏でどのように使われているのかあまり知らないんですけど、たしかブッチはレズビアンのみならずゲイにも用いられる言葉だったはずです。あえて日本語にするなら「タチ」ってところでしょうかね。
dykeは、ボーイッシュなレズビアンを指すことが多いようですが、単にファッションの好みとしてのボーイッシュさではなく、自覚的に選択した政治的社会的意識やライフスタイルをも含めた、プラウドリーな呼び名(自称)として使われることもあるようです。
>性交渉はむしろどちらともしたくないのですが。
L寄りのノンセクシュアル(無性愛)ってところでしょうかね。セックスって、実はいろんなところから無意識のうちに刷り込まれている「他者の性イメージ」をなぞりなおす行為になっていたりします。自分がしている行為なのに、どこかしら類型的な借り物なんですね。「他者の性イメージ」に触発されて行うセックスって、けっこう似たり寄ったりの金太郎飴っぽいです。
「性交渉はむしろどちらともしたくない」というのは、ryokoさんの想い描いている性交渉が「他者の性イメージ」に近いからではないでしょうか。とりあえず、「他者の性イメージ」を反面教師にして、自分(と相手)にとって望ましい性交渉のありかたを模索してみるのも楽しいですよー。
>瑠可はあんなに女性性を嫌悪していたのに、なぜタケルと行為に及んだのか
えええー? あれはテントのなかで並んでただ単純に寝ただけなんじゃないでしょうか? 「海辺」で「たき火」で「テント」だなんて、瑠可とタケルの友情物語のクサい演出でしょー、とわたしは思ってました。あなたたちは旅館に泊まるお金もないワーキングプアなんですか、とか。