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夢の崩壊、死を思う、そして再スタート

2008年6月 3日 10:00 ミヤマアキラ
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[インタビューシリーズ「セクバラ色の履歴書」002

石原有記さんの来た道ゆく道(3)

 

インタビューシリーズ第2弾は、1978年に『薄荷煙草』でメジャーデビューした石原有記(デビュー時は石原祐)さんの登場です(アーカイブはこちら。幼少時の思い出にはじまり、デビュー前のやんちゃな(?)時代、メジャー路線から離れ、銀座のクラブ経営で手腕を発揮した時代、そしてライブ活動を再開した現在に至るまで(もちろんLな経験談も含めて)、じっくりお話をうかがいました(取材・文/ミヤマアキラ)


●人生をつぎ込んだ17年愛の終焉

銀座に勤めだして4年ほどは、別れた彼女と会うことはほとんどなかったが、そろそろ自分のやっていることが形になってきたので、いまごろどうしているかと思って連絡をとり、食事をするようになった。嫌いで別れたわけではなかったので、またよりを戻した。そして彼女と一緒に暮らしながら銀座の店に出るという生活をするようになった。

 

4年のあいだに自分の進む先の道筋をある程度つけられるようになり、これで彼女ともう一度やり直せるかなと思ったが、もともと彼女とは考え方の相違があって、そこはいつも平行線だった。そこは愛情で埋め合わせることができるかもしれないとほのかに期待していた。しかし、結果から言うと平行線のまま終ってしまった。

 

彼女はそれまでの人生をとても裕福に暮らしてきたが、私との交際を再開するころから経済状況が目に見えて変わってきた。長いあいだ親しくしてきた仲でも、よほどのことがない限り、お互いの金銭感覚を疑うことはめったにないし、それは愛情とは別ものであり、自分が口出しすることではないと思っていたので黙って見ていた。「大丈夫かな」と心配しながら。

 

ところが、いくら愛情と別物とはいっても、彼女の経済感覚やお金のつくりかたにはさすがに、端で見ているだけでも耐えられなくなってきた。そうなるともう、あなたはあなた、私は私で別な道を歩きましょう、ということになった。途中4年間のブランクはあったけれども、トータル17年の付き合いで私はとても幸せだった。彼女とのいい思い出は大事に箱の中にしまっておきたい。自分がそこまで特定の人に打ち込んだのは彼女が初めてだったから。

 

 

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●宝塚OGによるレビューを銀座で!

いまから2年半前、49歳のとき、いよいよ自分で店をやろうと決心し、銀座で物件を探しはじめた。その間に、融資元も同時に探していた。店を出す準備としてまず株式会社を興し、私が取締役になり、役員をそろえ、監査役を立て、その監査役のかたの仲介で2億の融資が決まった。

 

私がやろうとしていたのは、宝塚OGをメンバーとしたレビューを見せる店だった。候補物件のなかには、ビルのB1とB2の一括貸しのものがあった。ワンフロアで充分だったが、レビューをやるのにちょうどいい広さの物件はそこしかなかった。レビューはB1でやって、B2はそのうちこちらで借り手を見つければいいと思い、2億の融資があるからなんとかなると見込んで、その物件を借りることにし、内装の着工を開始した。200510月はじめだった。

 

それ以外にも、オープンまでに準備することはたくさんあった。店のスタッフをそろえて接客教育をしたり、レビューのメンバーを集めてショーの準備をしたり。また、B2はあまり内装にお金や手間のかからないディスコをやろうということになり、ディスコ運営の専門家を呼んで一緒に計画を立てたりもしていた。

 

ところが、B1店内の着工がどんどん進んでほぼ完成に近づいた12月、2億の融資をしてくれるはずだった個人会社の社長が出資法違反で逮捕され、外国の銀行にストックしてある預金はすべて凍結された。2億の融資が泡と消え、そこから急いでお金を借り集めだした。

 

店はもうほとんど完成していて、B2のディスコは2006年2月、B1の店は3月にオープンすることが決まっていた。14年間の銀座生活で不義理をしたことはなかったので、私という人間への信用だけで店の着工は進んでいた。ありがたいことに、個人的に私のビジネスに協力したいという知人がテナントの賃貸契約金1700万円を出資してくれた。しかし、工事は完成しても払うお金がない。私財をなげうってお金にできるものはすべてお金にし、借りられるところからはできる限り借りてなんとかつないで、店はオープンした。

 

それでも、店で働くひとたちや仕入れ先に払うお金がない。宣伝費もかけられないからお客さんは来ない。最初のうちは、14年の銀座生活でお世話になったひとたちが駆けつけてくれて、応援の意味も込めて高いワインを注文したりしてくれた。だが、それも長くは続かない。オープンから3ヶ月後の6月にはギブアップして閉店。いまとなっては「たられば」の話でしかないが、2億の融資が無事に受けられていれば、それで確実に店を回していく自信はあった。

 

 

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●「お前、思い上がってるんじゃないよ」

けれども、いまから考えれば、あのころの自分はものすごく思い上がっていたと思う。あの融資が消えてしまったのは、「お前、思い上がってるんじゃないよ」という神さまの啓示だったのかもしれない。私財をなげうってすっからかんになり、2億のお金はどこをひねっても出てこないので、個人も会社も解散、破産するしかなかった。自己破産は2年がかりでやって、200711月にやっと免責がおりた。その間もバイトをしたり、知り合いの店の手伝いをしたりしてなんとか食いつないだけれども、本当に生きた心地がしなくて、店で首を吊ろうかと考えたこともあった。

 

そんな宙ぶらりんな状態だったとき、Madonnaでオフ会があると聞いた。Madonnaのオーナーまーちゃんはその昔、同じ店で働いていたこともある古い友人。まーちゃんには店を出すことを伝えていて、「人数が集まったらみんなで行くね」と言われていた。ある日、「やっと人数がそろったから行くよ」と連絡をもらったときには、「ごめん、まーちゃん。もう店は締めたんだ」と言った。Madonnaでまーちゃんに久しぶりに会って、「ゆうちゃん、いまなにやってるの?」と言われ、「ん? プー太郎♪」と軽く答えたけれど、まーちゃんは私の店のいきさつを知っていたので、「もし良かったらうちの店手伝ってよ」と言ってくれて、2007年3月からMdonnaに入るようになった。

 

昔なじみの仲間だからある意味気は楽だし、正直言って助かった。収入は銀座で働いていたころの3分の1になったけれども、お金の問題ではなく、お金ではどうにもならない部分ですごく助けられた。生きた心地がしなかったから。よく生き延びたなと自分でも思うし、当時の騒動を思い出すといまでも冷や汗が出る。夢にも出てくるくらい。

 

死のうと思ったこともあったが、「あ、生命保険解約したんだった!」と気づいて思いとどまった。そのことがあった2年ほど前に、「保険会社も破綻するんだから」と思って解約し、そのお金で1ヶ月ほど遊んでしまったのだった。「やべ! これじゃ死ぬに死ねないや〜」と焦ったが、もし解約していなかったらその保険金で支払いをするために確実に死を選んでいただろうから、神さまが先回りして私の逃げ道を断ってくれたのかもしれない、と思っている。とにかく、私を信用してお金を出してくれたひとたちに顔向けできないようなことはしたくなかったから、あらためて思い返すと、人生の道筋はうまくできているなぁと思う。

 

 

<つづく>

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