BUG バグ
[いぬのえいがひょう] vol.039
タチの子とネコの子の、1対1の同性愛カップル。
お互いに浮気はしないと約束していたのに、タチの子が浮気してしまった。
ネコの子はタチの子を責める。
「どうして浮気したの! 約束したのに!」
タチの子は、一旦は謝るものの、ネコの子が責め続けると開き直る。
「やってしまったものは仕方ないじゃん」
ネコの子は、憤りながらも、好きだから受け入れる。
「許すのは、今回だけだよ」
よくある光景。
では、逆に、浮気したのがネコの子で、同じ光景は、よくあるだろうか。
なくはない。
なくはないけれど、その場合、タチが浮気したネコを責める口調は、逆の場合より激しくなるような気がしないか。
タチは男と化す。ネコは女と化す。
では、タチの男と、ネコの女の異性愛カップルの場合はどうだろうか。
男の浮気。許す女。
よくある光景。
その逆に、浮気したのがネコの女で、同じ光景は、よくあるだろうか。
なくはない。
なくはないけれど、その場合、女の不貞を責める男に、より強く暴力の匂いがしないか。
男はタチをやる。女はネコをやる。
アメリカ、オクラホマ州。元夫ジェリーの暴力から逃れるためにモーテル住まいをしているアグネス。
レズビアン・バーで働いているがヘテロのアグネスは、一緒にバーで働いている友達のRCから、ピーターという内気な男性を紹介される。
アグネスは、「ゲイではないが女性に興味がない」というピーターに、どこか自分と似ている部分があると感じ、次第に打ち解けてゆく。
その翌朝、突然、元夫のジェリーがあらわれ、復縁を迫る。アグネスが拒絶すると、ジェリーは暴力をふるってモーテルを出ていく。
その後にやってきたピーターはアグネスを慰める。
長いあいだ女性を敬遠していたピーターだったが、その夜、アグネスとならば心が通じ合えると感じ、アグネスもその気持ちを受け入れ、セックスをする。
ピーターは、アグネスともっとわかりあうために、秘密を打ち明ける。
ピーターの身体には虫が寄生している。この虫は、軍の実験でピーターの身体に埋め込まれたもので、身体の内外に出入りしながら増殖を繰り返し、宿主の精神をコントロールしていくのだという。
アグネスも、部屋のそこかしこに虫がいることを確認する。
部屋の中で爆発的な速度で増えていくのにあわせて、ピーターとアグネスの精神も壊れてゆく。
DV加害者の男。
被害者の女性。
その友達はレズビアン。
セックスが出来ないという男と仲良くなる。
主要なキャラクターの設定が、今年フジテレビで放送されたドラマ『ラスト・フレンズ』に酷似している。
美知留はアグネス。瑠可はRC。
『ラスト・フレンズ』の瑠可は、性自認とセクシュアリティのゆらぎがあるかのように演出されていた。
しかし、瑠可の中にどんなゆらぎがあったのだろう。
態度も振る舞いも外見も固定され、ずっと変わらず美知留に恋慕を抱いている。
瑠可は、社会からの視線に対するわかりやすさのために、ゆらぎを偽装しているだけに見える。
これは、社会からの視線であると同時に、瑠可にとっては瑠可自身からの視線でもあり、番組の造り手にとっては想定された視聴者からの視線でもある。
マイノリティはかわいそうなマイノリティとして悩んでいるふりをすることで、それを見る者の無意識の優越感を刺激しないで済むのだろう。
自分自身をわかっていないふり。
一方、『バグ BUG』のRCにはそのような、セクシュアリティのゆらぎ、セクシュアリティのゆらぎ偽装はない。
自他共に認めるレズビアン。外部の視線への余分な目配せはない。
劣等感でもなく、プライドでもなく、ただ単に、レズビアン。
当たり前に、自分のことをわかっている。
そんな当たり前のレズビアンのRCは、パートナーと共に、同性愛カップルが自分の子供の親権を得るための訴えを州に対して行っている。
登場キャラクターの中で似た位置に配置されながら、大きく性質の異なる瑠可とRC。
それに比べると、美知留とアグネスの性質は似ている。
アグネスは、同性愛者の親権獲得運動についてRCの話を聞いてなんとなく理解を示していたが、やがて、好きな男ピーターに気に入られるためなら平気で理解を撤回するようになる。
レズビアン・バーに勤めるアグネスに嫌悪をむき出しに「おまえがレズビアンなんかになったら許さない」と言うジェリー。
ジェリーの自分に対する暴力には傷つきながらもアグネスは、ジェリーのレズビアン蔑視発言という暴力ならば何事もなく受け入れる。
『ラスト・フレンズ』の美知留は、ずっと瑠可が自分を好きだったことを知って嫌悪感を抱いたようだ。
その嫌悪はうやむやにされたまま、ドラマは終わってしまった。
アグネスは、美知留は、男の同性愛嫌悪に対して寛容だ。
それ以上に、男に寛容だ。
男のためなら、平気で女友達を傷つける。
男を信じていたいのだ。
男を信じていたいアグネスはピーターを信じきって、そこにはいない虫が見えるようにまでなってゆく。
ピーターは、アグネスとセックスをした翌朝から急に、それまでのおどおどして目を逸らす態度はなくなり、アグネスに対して居丈高になる。
セックスしたことを、女を捕まえたことだと勘違いしたら、それ以降、女に、自分の良き理解者であって当然と振舞うピーター。
セックスしたことを、男に捕まえられたことだと勘違いしたら、それ以降、自分は、男の良き理解者であろうとするアグネス。
タチとネコが固定化してしまったら、その関係性に、異性愛の「男と女」の定型が影を落とすのを避けることは難しい。
「男と女」ではない関係を築くことが、男女ではない同性愛者においてすら難しいのに、男女である異性愛者の場合、どれほど困難なのだろう。
タチネコの固定化が関係の固定化をもたらす以上に、男と女の関係は固定している。
ジェリーから逃れようとしながら、アグネスはやはり、ピーターとの間でも、「男と女」という妄想に取り込まれてゆく。
男を信じることで、幻覚が具現化して見えるようになる。
幻覚の具現化。ないものがあるものとされる。
制度でしかないものが本質と扱われ幅を効かす、結婚制度みたいだ。
結婚制度が異性愛に付き物である所以だろう。
『ラスト・フレンズ』では、瑠可が、優柔不断な美知留にばかりべったり執着しているのが不思議だった。
執着するならするで、美知留が暴力に晒されていることに関して、サポートすればいいのに、傍観気味の態度で、たいした行動を起こすわけでもない。
RCは、ジェリーの暴力を目の当たりにして、警察を呼ぼうとするが、アグネスがそれを制止する。
RCは、そんなアグネスに呆れて距離を置きつつも、アグネスを見捨てたわけではなく、出来るだけのことはする。
瑠可にもどかしさを感じていたせいもあって、この映画で瑠可の立場のRCは聡明に描かれていて居心地が良い。
しかし、もう女に聞く耳を持てないアグネスは、ピーターと共に、虫の妄想を加速させてゆく。
その先にあるのは、異性愛の「男と女」の友愛の最後の行く末。
『ラスト・フレンズ』。本当のラストは、『バグ BUG』にある。
美知留の気持ちが良くわかる、と『ラスト・フレンズ』に涙したかたに、アグネス─ただ女であるのではなく男のために女でいる女─の行く末に、戦慄していただきたい。
男と女の固定化、タチとネコの固定化は常に、妄想の世界に取り込まれる危険があることを、しっかり認識しておくために。
ところで! そんなことより、いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
【関連URL】
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『ラスト・フレンズ』(2008/10/15発売)
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