売るための<商品>か、主題にこだわる<作品>か?
サンフラ ンシスコ国際レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(以下LGBT)映画祭が6月16日から29日の期間で開催され、大盛況で終了した。フレイムラインの主催で今年は32回目。世界32カ国から劇映画、ドキュメンタリー、アニメなど237作品が上映された。映画祭の公式サイトはhttp://www.frameline.org/festival
当地の映画祭の場合、かつては報道向けに毎朝 2作品ずつ出品作を上映する試写会が2週間ほど開催されていたが、最近は試写に代わってDVDの貸し出しという方法が取られるようになった。そのために時間と場所に制約されることなく、以前より多くの作品を見ることが出来るようになった。また、用意されたDVDの作品数も多く、選択に迷うほどだった。今回は英語圏以外からの出品作で女性を主人公とした劇映画を中心に観た。これまでの体験から、海外の作品に面白いものが多く、テーマを決めて観ると発見も多いように思う。
あまり熱心にこの映画祭を追っていないので正確なことは言えないが、10年前とは比較にならないほど、海外で充実した劇映画作品が作られているという印象を持つ。デジタルカメラ等の発達で、少ない予算で映画が作れるようになったことも関係しているかもしれないが、やはり世界の各地でLGBTの生き方や社会的問題を取り上げていこうという動きがあることが強く感じられる。それに比べるとアメリカの作品は商品化の時代に入っているような気がする。数年前に終わったシットコム(シチュエーション・コメディの略。登場人物や場面が毎回同じの連続TVコメディのジャンル)の "Will and Grace"のヒットや、現在も人気の高い "The L Word"(未見)などがテレビで観られる状況というのは、同性愛者を主人公に据えても商品として売れる時代になったことの証明と言える。アメリカ資本主義は売れるものはドンドン作って売るのである。
この映画祭のプログラムを読んでいても、売るための<商品>として製作されたのか、作り手の主題へのこだわりを感じる<作品>として製作されたのか、の違いが明確だった。<商品>が低級で<作品>が高級と言うつもりはないが、コンビニ弁当で昼飯を済ませるのと、老舗の手打ちそばに舌鼓を打つぐらいの違いはある。<商品>は現状肯定の上に欲望を刺激するが、<作品>は現状に疑問を投げかけ意識や感性を刺激する。ただし、物作りは一筋縄ではいかず、<商品>の体裁を保ちつつそれを越えてしまう映画もあるし、<作品>のつもり作ったものでも単なる現状肯定に終わるものある。
"Love My Life" 写真提供:Wolfe Releasing
後者の好例が日本からの唯一の出品作"Love
My Life"(川野浩司監督)だった。やまじえびね原作漫画の映画化である。漫画の方は未読だが、ネット上で絵だけを見るとなかなかムードのある漫画で、作家の繊細な感性と独自な世界が感じられる漫画<作品>という印象。通勤電車の中の捨てられているマンガ雑誌と違って、ファンはきっと掲載誌を捨てないなと想像がつく。しかし、そんなファンがこの映画を観たらどうだろうか。
映画の内容は、女子大生の恋(タレントの吉井怜とモデルの今宿麻美が主演)、親との関係や将来への夢などで、カムアウト問題を除けばごくごく普通の青春映画だ。この「ごく普通の青春映画」という印象こそが問題で、それは即ち主人公がレズビアンであるということから立ちのぼる原作漫画のいい香りが、すべてかき消されているということでもある。老舗のそばが「カップ麺」に化けたのだ。考えようによっては、日本でもレズビアンの恋が「ポルノ」という長年の生息ジャンルを抜け出して、ようやく「青春恋愛もの」という安全圏に足を踏み入れたと言うこともできる。その証拠に、浅田美代子がレズビアンの大学教授役でカメオ出演。TVバラエティ番組が職場のタレントにとって、この映画がいかに「ちょっとリスキーだけど実は安全」だったかの証明である。
そのうち、レズビアンのボクサーが明るく爽やかに奮闘するNHKの朝の連続テレビ小説を家族で観る時代が来るだろう。予定調和の安心世界、うれしいようなつまらないような、である。この映画をさらに見苦しくしていたのは、父親役を超ヘタクソな男が演じていたことだった。日本にいるなら一目でこの男が作家の石田衣良で、彼の父親役にご愛嬌的意味合いがあるのだろうと了解できるのかもしれなが、彼を知らない観客にとってはただの大根役者だ。主人公とのからみで重要な役割を演じる父親役にこんな素人を起用した作り手の無神経、作品への愛情の無さが感じられ、耐え難いものがある。<作品>や<商品>に関係なく、志が低い映画の典型と言える。
さて、<作品>と<商品>という違いともに、今回気がついたジャンルに<啓蒙>というのがあった。同性愛者の虐げられた歴史を振り返り、また現社会内での差別の現状などを分かりやすい物語として見せて、(主要には)異性愛者の人たちに理解を促し、偏見を正してもらう。子供の頃に『お米が出来るまで』の映画を学校で観させれ、都会っ子だった私たちは「お百姓さんたちに感謝する」ことを学んだと思うのだが、それと似ている。作り手の善意誠意が感じられる一方、時々お説教臭いという欠点があり、果たして啓蒙で人が変わるのか、という命題を常に残しているジャンルだ。ドキュメンタリー映画の一部は今でもその役割に担っていると思うが、劇映画の中にも(そのつもりがなくても)啓蒙的な色合いの濃い作品がみられた。イタリアの”No End" (Roberto Cuzzillo監督)とフランスの"The New World"(Etienne Dhaene監督)はそれぞれ、女性カップルが子供を産もうとするお話。両国ともに同性愛者の人工授精が認められていない状況を背景としており、主人公たちが妊娠のために苦戦する様子が、前者はシリアスに後者はコメディタッチで描かれていく。
"The New World" 写真提供:Casque D’Or Films
"The New
World" の方はきっとフランスの教育テレビで放映されたのではないだろうか。精子を求めて候補者を一般公募して面接すると、変な男ばかりが現れて閉口するという笑える場面をへて、結局親友の男のタネを貰うことにする。ところが、この男が子が生まれると突然父親然として女たちの家庭に割り込んでくる。子を生んだ女の方が「父親だから仕方ないでしょ」と男を受け入れたから、一悶着。子を生まなかった方の女が「私の存在の意味は?」とフランス的実存の危機にドブン。彼女には同性愛を認めない頑固なクリスチャンの母との辛い関係があり、彼女の自信の無さはそこに根ざしていた、という背景も描かれ、人ごとじゃないよという感じである。最後は、孫可愛さで母が折れてメデタシメデタシ。観終わると「同性愛者にも人工授精の権利を!」というメッセージがサラリと聞こえてくる。主人公の女達への共感を土台に上手に組み立てられたお話で、説教臭さのない啓蒙映画だった。フランスはこういう映画を作ると上手い。
"The World Unseen" 写真提供:Enlightenment Productions
歴史を振り返る作品にはイギリス映画
"The World Unseen"(Shamim Sarif監督)があった。アパルトヘイト(94年に撤廃)という差別的な人種隔離政策があった頃の南アフリカが舞台で、主人公はインド系の主婦とレストランを経営する女。平凡な主婦が、元気はつらつとレストランをきりもりする女に羨望とも恋ともつかぬ感情を持って物語はスタート。その後、2人は恋に落ちて互いを深く知り合うようになるが、インド的結婚制度に縛られ、人種差別やセクシュアリティへの偏見などに囲まれた2人の恋は障害だらけ。話は恋の甘さよりも自由への希求に重点が置かれる。主婦が女と恋に落ちて自分の人生を振り返り、自立への意思を持つまでを描いた正統派フェミニスト映画という紹介が正解だろう。サイドで黒人と白人の恋が無残に引き裂かれる様子や、主人公たちが2人でいるところを白人警官にハラスメントされるという当時の差別社会の状況がしばしば描かれるが、この描写が説明的で教科書みたいだった。そのせいか、どうしても結末を思いだせない。映画で取り上げられる機会の少ない南アフリカのインド女性を取り上げた功績は大きいと思うが、啓蒙的でありすぎたために作品としてのインパクトが欠けてしまった。主演の2人がベッピンさんだったのが眼福ではあった。
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