反哲学としての哲学
[名前はまだない 011]反哲学としての哲学
日本のオトコ作家で唯一好ましいと思うのは、田中小実昌(こみまさ)。タイトルのいい加減なつけかたといい、「私のチンコは小さいんです」というようなことを堂々と、しかも脱力気味に言ってのけるところが微笑ましい。オンナコドモに説教してチンコ自慢したいがために、フェミニストを名乗ったりジェンダー研究に携わったりしているような、どこかのオトコ学者たちとは大違い。
そして、チンコ自慢がデフォルトのマッチョな哲学ギョーカイにおいて、日本の哲学(研究)者で唯一好ましいと思えるのは、木田元(きだげん)である。
木田元は、大学時代の担当教授だった。「木田元」はフルネームだが、「キムタク」「オダジョー」のような短縮系のノリで、わたしたち学生は「キダゲン」と呼んでいた。見た目はただのテカテカしたオッサンだが、授業の際には声と手元を震わせ、視線を泳がせながら(決して学生側を見ない)、要領を得ないとっちらかった独り言をぶつぶつつぶやくように講義をすすめる。
教室内はいずれも禁煙なのだが、キダゲンはかまわず、自販機の紙コップを灰皿にしてチェリーを吸いながら訥々としゃべる。風の噂では、「敗戦後の混乱期には、殺人と強かん以外の悪事にはすべて手を染めた」と聞いたが、こんな気の弱そうな、挙動不審のオッサンが? と、わたしはいぶかしんだ。
当時、ニセ学生が有名大学の著名な教授の授業に潜り込んでその様子をレポートしたムック本が出ており、キダゲンに関しては、「授業ではなにをしゃべっているのかさっぱりわからず、講義を聴くとむしろ混乱するが、著書はいずれも明晰かつわかりやすい」と評されていた。著作を読むと、確かにその通り。講義を聴くよりはるかにわかりやすく面白い。そんなわけで、わたしはそれ以来キダゲンの授業には出席せず、ひたすら著書だけを読むようにしてきた。
そのキダゲンが、1999年3月に大学を定年退職した。定年退職時には送別の儀式を兼ねて、大学教師としてこれまでやってきたことの総括をさせられる最終講義を行う習わしが大学にはある。キダゲンは同年1月に「ハイデガーを読む」というタイトルの最終講義を行った。その内容を書籍化した単行本が翌年に、文庫版が今年5月に出版された。それが『木田元の最終講義 反哲学としての哲学』である。
「実は、これは最終講義、最終講演でしゃべったそっくりそのままではない。最終講義にしても最終講演にしてもかなり儀式めいたところがある(中略)。実際にしゃべるのは一時間ちょっといったところ、とてもこんなにはしゃべれない。したがってこれは、私がしゃべろうと思って頭のなかに用意した原稿ということになる。実際には、これをかなりはしょって、要点だけ話したのである。だが、せっかく活字にしてもらうなら、話したかった頭のなかの原稿のほうがふさわしかろうと思い、当日のメモを元に書き起こしてみた」(あとがき より)
「要点だけ話した」とあるが、実はきっと、要点のわかりにくい、まわりくどい講演だったのではないかと推測する。わたしがキダゲンの授業を履修していたころ、かれはすでに60代後半であった。それからたかだか数年で、急激にしゃべりの技術が上達するとはとうてい思えない。たぶん、かれの講義を一度でも聴いたことのあるひとなら、「あとがき」のこの語りを、キダゲンの「見栄」と見るだろう。だが、著書の中身に触れれば、これくらいの見栄はご愛嬌として相殺してもよいような気分になる。
キダゲンは、「ハイデガーを読みたい」一心で東北大学に入学して以来、50年間ハイデガーを追いかけてきた。特に、20世紀の名著の一冊とされる『存在と時間』を読み解くためである。ところが、50年の研究の集大成として行なった最終講義では、ハイデガーの大著『存在と時間』を失敗作、欠陥商品である、と語った。もちろん、この未完の書が哲学思想家のみならず、多分野の研究者や知識人たちに多大な影響を与えたことを認めつつ、である。こんなことは、その道の大家にはなかなか言えない。
「この本(*引用者注:『存在と時間』)は、これだけ読んで分かる本ではなく、これを分かるためには、カントもヘーゲルも、キルケゴールもニーチェも、フッサールもシェラーも、それどころかプラトンもアリストテレスも読まなければならない」と分かり、「ギリシアに生まれた西洋特有の考えかた」である西洋哲学という知の系譜を地道に追っていく。
ハイデガーの師匠は「現象学」の祖フッサールだが、実はフッサールに破門された兄弟子のマックス・シェーラーから強い影響を受けていたり、『存在と時間』の最初の発想である「西洋哲学史の根本的見直し作業」はニーチェの示唆が大きかったり、フッサールが立ち上げた現象学は、物理学者エルンスト・マッハの「現象学的物理学」に由来しつつ、フッサールはマッハを強烈に批判していたり、同時代に生きたマッハとニーチェの思想は、世紀転換期のドイツ作家や詩人たちに深い影響を与えたりと、ハイデガーの思想の背景には、大河小説並みに登場人物が多く、しかもそれらの関係が複雑に絡み合っている。
また、ハイデガーに関する伝記では、ナチス政権樹立直後の1933年、フライブルグ大学総長となり、ナチスに入党して、ヒトラーへの忠誠を誓うような就任講演を行ったことや、親しい者に対する背信や密告などの事実が暴露され、かれの性格の悪さが露呈した。伝記を読めば読むほどキダゲンはハイデガーが嫌いになっていったが、だからといって思想のすごさが帳消しになるわけではない。性格が悪くても思想はすごい、それでどこが悪い、と居直るようになり、性格の悪さを知ると同時に距離をとってハイデガーを見ることができるようになったという。
「講義録を読んでいても、なにもかもがすごいというわけではなく、自分でなにを言っているのか分からなくなり、めちゃくちゃなことを言い出すこともあれば、ノートが足りなくなったのか、妙なお説教をはじめたり心構えを説きはじめたりすることもありますし、話したいことを話してしまうと、あとは投げ出してしまうこともあります。やっぱり同じ人間だなと思うと、かなりつっぱなしてクールに読めるようになり、それでかえってよく分かるようになったような気もします」(p51)
キダゲンは、思想家たちの“純粋な”思想だけを抽出するのではなく、かれらの生育環境や時代背景、交友関係などを丁寧にひもとき、生きて血の通った立体的な人物像を描き出している。哲学講義というより、壮大な歴史小説を読んでいるような錯覚をおこす。現象学を追究したハイデガーという<現象>を、キダゲンは素描しているかのようだ。
——思想というものは<その思想>が欲するときにやってくるのであって、<われ>が欲するときにやってくるのではない——(ニーチェ『善悪の彼岸』)
さて、本書のサブタイトルにある「反哲学としての哲学」とはなにか。『存在と時間』の当初の発想はニーチェの示唆によるところだったと先述したが、ニーチェは「プラトン以前の」思想家たちの研究から、「この時代のギリシア人たちのものの考え方、自然観を明らかにし、それと対比してプラトン以降の哲学を批判的に見ようとしていた」(p53)。
「ニーチェによれば、古い字大のギリシア人はすべてを自然(フュシス)として見、ものがある(*引用者注:原文では傍点、以下同)ということはおのずから生成し消滅しつつあることだと見ていた、つまり存在=生成と見ていたのだが、プラトンはそれに対して、あるということを作られてあることと見て、つまり存在=被制作性と見て、自然を制作の単なる材料と見るような不自然なものの考え方を持ちこみ、これがその後の西洋哲学の全体を規定し、その哲学を青写真にしておこなわれた西洋の文化形成の総体を規定してきたと考えたようです。彼が西洋哲学はすべて本質的にはプラトン主義だと言うのはそういう意味なのです」(p53-54)
また、マッハに関して、キダゲンはこう記述する。
「マッハは子どもの頃学校の成績が悪く、ベネディクト会経営のギムナジウムで神父たちにいじめられたり、家庭で父親に厳しくしごかれたりしたらしく、男性的なもの、父権的なものへの恐怖を植えつけられ、それが男性的なもの(睾丸)を象徴する「石」や「粒子」(つまり原子)への拒否感を生み、女性的なものないし母性的なものを象徴する「流れるもの」(つまりエネルギーの流動)への共感を生んだのであり、しかもマッハ自身このことを十分に意識していたようです」(p82)
ニーチェとマッハから多大な影響を受けたハイデガーの『存在と時間』は、未完の失敗作ではあったものの、キダゲンはこの三者に共通する太い川の流れに、「反哲学」と名づけたのだった。
*活字が苦手なかたは、以下の動画をどうぞ。やっぱりしゃべりは下手ですけど、熱意は感じられます。
哲学を破壊せよ1/3
哲学を破壊せよ2/3
哲学を破壊せよ3/3
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