猿の惑星・征服
[いぬのえいがひょう] vol.045
猿の惑星・征服 (1972)
Conquest of the Planet of the Apes
1969年からはじまる『猿の惑星』5部作には、シリーズの当初からリベラルなメッセージが込められていた。
人の惑星の人類や猿の惑星の猿という、世界を支配する者の驕りを辛辣に描いているこの物語自体がそうであるが、特筆すべきは、第1部から第3部までの猿側の主役である、メスのチンパンジー科学者のジーラ。
メスはオスに従属すべきという信念が支配的な猿社会の政治を牛耳っている議会に真っ向から異議を申し立てる。
科学者として非科学的な迷信は受け入れることができない。それがジーラの行動の基準だ。だからこそ非科学的なオスの支配にも堂々と抗う。
一方、ジーラの夫コーネリアスは、議会の圧力にすぐに屈してしまいがち。
主役の女が勇敢なリベラリストであるような映画が、公民権運動の盛り上がりの只中とはいえ、当時のメジャースタジオの映画では画期的な表現だった。
ジーラは、第3部『新・猿の惑星』で、1970年代の地球へやって来るが、その高度な知性故に人間社会から危険視され殺害されてしまう。
それからおよそ20年後が、第4部である本作『猿の惑星・征服』の舞台。
そこでは、人間が猿を奴隷として酷使していた。
高度な知性を持つ猿ジーラとコーネリアスの子であるマイロが、サーカス団長のアーマンドに大切に匿われ生きながらえていた。
シーザーは大人になってはじめて目にした奴隷社会の惨状に憤りを憶え、自分が言葉を話せることをひた隠しにしながら、政府組織に召使として潜入。
奴隷に甘んじている猿たちを解放すべく革命を企てる計画を練る。
そんな物語のこの映画は、米国での公民権運動の経緯に酷似した物語であったためか、公開当時、運動に賛同する黒人層からの圧倒的な支持を得た。
奴隷猿たちが広場で競売にかけられる光景は明らかに、米国に拉致された黒人が競売にかけられた光景を基にしている。
奴隷猿たちの従事する職業は、単純労働や奉仕労働。それは、(少なくとも当時の)米国社会では、有色人種や女性に開かれていた数少ない職業だ。
そんな猿たち。白くない肌の猿たち。
これは、非白人の主人公が、白人の支配者を打ち倒す物語だ。そんな作品は他にそうそうあるものではない。
この猿たちが、日常的な白人の支配を受け続けている黒人の共感を得たのはもっともだろう。
が、この種のリベラルなメッセージが込められたSF映画が常にそうであるように、この映画は現在でも一般的には単なる荒唐無稽なSFアクションとして位置づけられがちだ。
レイシストは、人種偏見を受け入れ、偏見の起源に想いを馳せないことで、レイシストでいられる。
セクシストは、固定的な性の認識を受け入れ、性がどう形作られるのかを意識しないことで、セクシストでいられる。
ひたすらに表層しか見ないこと。ひたすらに表層しか見ないことを自他に強い続けること。
そうして表面の下の意味を読み取ることは禁忌となる。意識もされないほどの禁忌となる。
きっとそれが、差別の秘訣なのだ。
その禁忌故に、これは痛快な娯楽アクションですと言われれば、内にどのようなメッセージがあろうとも、痛快な娯楽アクションとして楽しむ。
マイノリティの団結によってマジョリティ支配の転覆する顛末を描いたこのような映画も、痛快な娯楽アクションとして楽しむ。
政治的メッセージに気付かないことが不思議だが、ほんとうに気付かないのだ。
『セルロイド・クローゼット』という、同性愛の表現を裏の意味として仕込んだ映画の歴史をひもといた1995年のドキュメンタリー作品がある。
そこに挙げられている『スパルタカス』『理由なき反抗
』『紳士は金髪がお好き
』などの120本のハリウッド映画。
史劇、人間ドラマ、コメディなどが多い。同性愛要素は、綿密にカム・フラージュされて埋め込まれている。
それらのジャンルよりも、SF(あるいはホラー)というジャンルでは、露骨に主張を持ち込んでも、なお気付かれにくい。
はじめから「荒唐無稽」というレッテルのもとに判断されているのだろう。
たとえば、セクシュアル・マイノリティが社会との対峙するさまざまな姿を、超能力を持つミュータントたちに託して描いた『X-MEN』シリーズさえ、信じ難いが、セクシュアル・マジョリティのかたの大部分は見事にそういう観方をしていない。
だからこそ、逆にSFというジャンルは、一般社会からの読み取られなさゆえに、ある種の表現を規制された社会でも、メタファーとしての政治表現が容易になる。
『猿の惑星・征服』では、堂々と人種差別問題を扱う。
しかも、その問題の立て方は、核心を突いている。
マイロは、人間が猿を虐待する現場に出くわし、思わずこう叫んでしまう。
「薄汚い人類め!」
差別の核心はこれだ。
人種差別の問題は、人種間題と言い換えられるが、白人の優位意識の問題だ。
白人が白人であることを肯定することの問題だ。
男女差別の問題は、女性問題と言い換えられるが、男の優位意識の問題だ。
男が男であることを肯定することの問題だ。
マジョリティは、マジョリティであること自体によって、どこまでも自己の価値を過剰に信じ、他者にも信じさせ、自分たちの尊厳を高めてゆく。
そのために非マジョリティの他者を利用する。
差別の原因は、マジョリティの、マジョリティ性にある。
そしてマイロはまず、虐待される猿の痛みに同情するのではなく、虐待する人間に怒りを覚えた。
差別する側の変化がない限り、いくら差別される側が救済されても、何の解決にもならない。
もちろん被害者への救済や支援は大事なことだ。しかし、それは差別問題の核心ではない。
いわゆる人権運動では、差別者への対処は、後回し、またはなおざりにされがちだ。
犯罪が起こったとき、被害者救済を行えば犯罪者は野放しでよい、という世論にはならないだろう。
しかし、差別という犯罪の場合は、そうなってしまうのだ。
(極端な加害行為を伴う差別の場合はそうではないかもしれないが、それは、差別自体ではなく、付随した加害行為について問題にされる)
犯罪が犯罪と認識されず、犯罪者が甘やかされることに、人々は慣れすぎだ。
差別社会に慣れていないマイロは、犯罪を犯罪と、犯罪者を犯罪者と、認識できたのだ。
そして、「薄汚い人類め!」というマイロの言葉は、その場にいた政府の役人にも聞こえてしまう。
役人は、「そんなことを人間が言うはずがない。言ったのは猿に違いない」と判断し、言葉を話す危険な猿がいる、と警戒を強めることになる。
何故、この役人はそんな判断がするのだろう。
人間を糾弾するのは人間ではないもの。
人間を擁護するのは人間。
猿を糾弾するのは猿ではないもの。
猿を擁護するのは猿。
それが当たり前なのだろう。
糾弾も、擁護も、自分の利益のためだけに行うもの。
すべての言動が、自分の利益のためだけに行うもの。
すべての存在は、他者を利用し尽くし、自分の利益だけを際限なく求める利己主義者。
そんな生物観に基づいている判断だ。
それは、人類という支配者の帰属意識に固執し、自分のエゴイズムを正当だと開き直っているにすぎない。
自分の与えられた帰属意識を、いついかなるときも手放せない者。
日常でもよく耳にするだろう。「男だから俺には共感できない」、「女だからわからない」と。
映画を観ても、小説を読んでも、現実の誰かと接しても、男らしい男の人物にしか共感できない男や、女らしい女の人物にしか共感できない女。
決定的な想像力の欠如である。
この映画の、猿たちを追い詰める役人もそのような感じだ。
一方、当時のリベラルな黒人観客は、この映画に熱狂できた。
白人優位社会の黒人と、人類優位社会の猿という、異なった経験でも、根源にある共通項によって経験を置き換えることが出来るのだ。
革命の途上で、(マイロ改め)シーザーは言う。
「人間は残酷です。人間は、強要しないと優しくならない。人間に優しさを強要するには、まず自由にならないと」
自由は、権利だと思われている。
その権利を行使せず、自由ではない立場を選択することもまた自由意志としてよしとされている。
しかし、自由ではない立場を選択することは、それ自体が、自己言及的に、物事の表面しか認識してはいけないという命令を含む、自由でない立場への貢献になる。
そして、自由ではない立場であることは、差別の存在する社会では必ず、自由な立場を選択することへの抑圧を含む。
自由でない立場の選択は、他者の自由の権利への侵害。
なので、自由を保障するのならば、ただ、自由でない立場の選択だけは禁止しなければ、自由は成り立ち得ない。
自由であることは、権利ではなく義務なのである。
あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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わ、わからん!!!!
>あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
なんか、最後に書いてあるってことは、これが結論なの?
あ、もしかして「いぬ」は「犬」なので「犬」がかわいくてすてきなの? (「猿を擁護するのは猿。」ですからね。)
ということは、猫をめっちゃかわゆいと思ってるわたしって、ネコ!!!! そうだったのか、知らなかった!
(それはそうと、『X-MEN』ってそういう映画だったの、知らなかった。機会があったら、ぜひ、見てみよっと。)
tibimamaさま
コメントありがとうございますー!
関係ないけど、
わしも猫すきー。
うち猫はまぐろが好きなのー。
Mとか呼ばれたくないのです。