10代の妊娠出産、これいかに?
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『JUNO』『コドモのコドモ』
『コドモのコドモ』は、試写会で作品を観たときから不穏な感じがしていましたが、一般公開されてやはり物議をかもしていますね。というわけで、今回はふぇみん7月25日号に掲載された映画評のご紹介です(編集部の承諾を得て掲載しています)。
『JUNO』の主役ジュノは、アメリカの都市郊外に父と継母(父の後妻)と妹の四人で暮らす一六歳の高校生。七〇年代パンクロックを愛し、ドロップハンドルの自転車に乗り、ギターを弾き語り、飾り気のないジーパンとパーカーを愛用し、世の中を斜めに見る脱力系の若者だ。
そんなジュノが同級生ポーリーとセックスして妊娠。一度は中絶を考えるが、「胎児にも爪がある」と知って思いとどまり、ある夫婦と自分の子を養子縁組する計画を立てる。
屈託のないジュノのキャラもさることながら、継母ブレンと親友リアが出色だ。世間の目を気にしたり、主観やエゴを押しつけることなく、ジュノのチョイスを尊重し、具体的なサポートに徹している。
また、教師や医師などの専門者は姿を見せず、ジュノと援助者たちによるローカル・ナレッジ(現場の知恵)が活かされている。
自分が妊娠しても、ポーリーの自分へのまなざしが変わらないことを知ったジュノは、彼に対してより深い好意と信頼を寄せる。この映画に描かれているのはファンタジーではなく、望ましい現実だ。
かたや『コドモのコドモ』の持田春菜は、街と田園が混ざりあう地方都市に、祖父母、両親、姉の六人で暮らす小学五年生。活発で芯の強い春菜は同級生ヒロとの「くっつけっこ」から妊娠するが、大人たちが気づかないうちに、クラスメイトたちが一致団結して出産を実現する。
担任の八木は、生徒たちが「セックスはエロ、出産はグロ」と語ったことに危機を感じて性教育の授業を行うが、「ペニスをヴァギナに入れる行為がセックス」という説明は、性の多様性への配慮に欠けている。それはひとえに、セックスは男女間で行われるべき神聖な行為であるという保守的な性愛観を再強化するものでしかない。
子どもたちだけで行われる出産には、ある種の野性が演出されているが、「生まれてくる命の尊さ」という道徳観の強調は、母性神話の強調と紙一重である。そのため、すでに中絶を体験している姉の友人・朋子がポジネガのネガとして対比され、スティグマ化されかねない。
『コドモのコドモ』は、十代の妊娠・出産をシリアスに描いてきた過去のドラマなどへのアンチテーゼかもしれない。だが、この作品が示唆する寓話はあまりに無邪気で非現実的だ。
具体的な課題に直面している者にとって必要なのは、抽象的な理想論や寓話ではなく、課題を解決するための具体的なサポートとロールモデルだ。この作品が寓話にとどまらざるをえなかったのは製作者側の限界ではなく、日本社会の限界なのだろう。
(初出:婦人民主新聞ふぇみん2008年7月25日号)
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