ビジネスマナーはマナーに反する
[いぬのえいがひょう] vol.051
八日目
(1996) Le Huitième Jour
日本では、電車などの公共交通機関で、携帯電話での通話をしないよう呼びかけが行われている。
この、世界的に見て極めて稀な呼びかけ。
その理由のひとつとして、携帯電話の電波による心臓ペースメーカーへの干渉の問題が挙げられるが、これは後付けの理由だろう。
しかも根拠の薄い理由だ。
携帯電話が心臓ペースメーカーに対して誤動作を引き起こしたという事故が報告された事例は世界中でこれまで認められず、日本以外の地域では携帯電話使用による心臓ペースメーカーの誤作動の可能性はほとんど問題にされていない。
ほんとうの理由は、マナーである。
公共の場で私事の電話をされることを不快と感じる者への配慮だ。
皆の場で、個人の勝手な行動は許さない。そういうわけだ。
しかし、電車遅延や電車事故などが起こると、車内で堂々と通話する光景が散見される。
電話の内容は、職場への緊急連絡。
仕事上、必要な電話ならマナー違反もやむをえないというのだろう。
仕事の電話は容認され、私事の電話は眉をひそめられる。
仕事の電話の会話と私事の電話の会話、見知らぬ他者にとっては、どちらも等しく、自分とは無関係の話。
マナーが、目の前の相手に対しての配慮であるなら、仕事の話も私事の話も同じだ。
してもいいか、してはいけないか、どちらか片方を選択できるはずだ。
しかし、そうではない。
こういう場合なら電話しても良い、こういう場合は電話してはいけない、という暗黙の了解がある。
公共の場への、私事の侵食は許さない。私事への公共は、容認され放題。
マナーといっても、それは、目の前の相手に対しての配慮ではない。
公共を私事よりも優先する。全体に従え。個は黙れ。そういうイデオロギーが支配する空気。
空気と呼ばれる権威に対する配慮なのだ。
この映画のアリーは、多忙なやり手のビジネス屋。
現代の日本の電車に乗ったら、仕事の電話はどんどんかけて、私事の電話は控えるだろう。
彼のビジネスマンのためのセミナーは、さまざまな会社から引っ張りだこ。
「ポジティブな考え方、ポジティブな言葉、ネガティブな言葉は使わない」と檄を飛ばす。相手の仕草を真似して、親近感を持たせる印象操作をレクチャーする。
仕事が最優先の多忙な彼は、ないがしろにした妻と娘たちに見捨てられてしまう。
そんな折、ひょんなことからダウン症の青年ジョルジュに出会い、共に旅をすることになる。
ジョルジュの周囲の視線を気にしない行動にはじめは苛立つアリーだったが、少しずつジョルジュと共に、無理をしていた自分に気付き、心がほぐされてゆく。
草に触れ、木に寄り添いながら風にあたり空を見上げることの気持ちよさを思い出していく。
ジョルジュは、ホモと呼ばれる危険を気にせずアリーにぎゅっと抱きつく。適度に脂肪がのったジョルジュの身体に抱きつかれたらきっと気持ちがいい。
けれど、残念なことに、ジョルジュ。なんて、残念なジョルジュ。
ビジネスマンのネクタイを見て、「いいネクタイだ!」と叫ぶ。
ブティックの店員の女性の手を握り、「僕と結婚しよう」。
女の「子」とセックスする。
素直さだけで行動するジョルジュがそんなふうに文化的に教育された行動をとると、まるで、それが本能だとでもいうかのような描写にも見える。
でも、ジョルジュでさえ、生まれて真っ先に、教えられたのだろう。
携帯電話のマナーは知らなくても、資本主義を、結婚制度を、男を、女を、異性愛を、とにかく覚えろと身体に暗記方式で叩き込まれたのだろう。
暗記以外にやりようがない。考えて身につけることはできない。少しでも考えたら、おかしさばかり見えてくる事柄たち。
でも、教えられたからって、そんな嘘は覚えなくていいのに。残念。
それなりの場に行くときには、スーツを着用する。
ママに会うときには、ネクタイを締めたい。
健気である。健気に権威に従っている。
スーツ着用の推奨って何だろう。
会う相手に失礼がないように、失礼のない服装がスーツ。
相手は、「場にふさわしい服を着てきてくれた、私を尊重してくれている」
そう感じるとは限らない。
「服装を取り繕うなんて。私、ふさわしい服装で相手を判断するような、洞察力が欠けている者だと思われているの? 失礼な」
そういう受け取りかたもできるはず。
電車に乗ったビジネススーツのサラリーマンの上司と部下。
車輌にひとつだけの空席の前に立ち、「どうぞ、どうぞ」と空席を勧めあう。
お互い席を勧めあって、遠慮しあって、どちらも席につかず立ったままの2名の身体は空席の場所に行く道を塞いでいる。
すぐ隣で杖をついた老女がよろけていても見えていない。
駅に到着して、上司が先に下車する。
部下はドアのあたりに立ち、降りていく上司に挨拶する。
他の下車するかたの邪魔になっても関係ない。上司に失礼がないように。
TPOをわきまえることがビジネスマナー。他者を思い遣ることがマナー。
権力に媚びることがビジネスマナー。ビジネスマナーはマナーに反している。
ビジネスマナーなんて冗談にしといてね。
スーツを脱いで、裸足になってアリーは、風を浴びる。
この世のはじめは無だった。あったのは音楽だけ。
一日目、太陽がつくられた。眩しい太陽。
二日目は海。海に入るとほら足が濡れる。次は体をくすぐる風。
三日目、神は草をつくった。刈られると草は泣く。そっと優しく話しかけよう。
木に触れると、人は木になる。
四日目、神は牛をつくった。牛の吐く息は熱い。
五日目は飛行機。乗らなくてもいい、飛ぶのを見よう。
六日目、神は人をつくった。男と女と子供を。
僕は女と子供が好き。キスしてもチクっとしない。
七日目、神は骨休めに雲をつくった。
雲を見てると、あらゆる物語が見えてくる。
神は考えた“つくり忘れたものは?”
八日目の創造物は─ ジョルジュ。
神は彼に満足なさった。
五日目の飛行機はほんわかした冗談。
六日目の男と女も、ほんわかした冗談にしといてね。お願いだから、冗談にしといてね。
卑怯な権威主義者だと思われたくないなら。
車内では、携帯電話での仕事の通話はご遠慮ください。プライベートの通話のみにご利用ください。
あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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>携帯電話のマナーは知らなくても、資本主義を、結婚制度を、男を、女を、異性愛を、とにかく覚えろと身体に暗記方式で叩き込まれたのだろう。
なるほど。
でも、たぶん、「意図」して教えられてんじゃないだろうねぇ。社会には、異性愛が、徹底的に蔓延している。だから、「自然」に教え込まれちゃう。
ちょっと、家族モデル、って視点で。
多くのひとは、ひとつしか家族モデルを持たない。
はい、原家族(自分が育った家族)です。
同性婚をしても、多くのカップルは異性婚家族をモデルとしているわけですよね。
まあ、異性婚カップルでも、基本的には別々の原家族を持っているわけで、結局は異文化コミュニケーション!なんですけどね。
>車内では、携帯電話での仕事の通話はご遠慮ください。プライベートの通話のみにご利用ください。
まあ、何を話そうと自由だと思いますが、仕事の話しているひと、美しくないと感じます。