Sinead O'Connor(シネイド・オコナー)
[ほんじつのDel Tube]
vol.018
Sinead
O'Connor(シネイド・オコナー)
レズビアンをカムしたシンガーとしては大御所中の大御所。1966年アイルランド・ダブリン生まれ。1987年リリースの「The Lion and the Cobra」がデビューアルバム。このタイトルは「悪魔」の隠喩として旧約聖書の詩編に登場する。
1988年当時、CDジャケットのスキンヘッド姿を見て思わずデビューアルバムを衝動買いしたが、1曲目「Jackie」を初めて聴いたときのさらなる衝撃はいまでも忘れられない。絹のような繊細でクリアな歌声からはじまって徐々にスクリーミングが混じり、魂を振り絞るようにして繰り出されるノイジーな苦悶と祈りの叫び。
Sinead O'Connor - Jackie
同アルバムに収められている「Troy」は当時のヘビロテであった。ライナーノーツには確か、アルバム制作当時は交際していたドラマーのジョン・レイノルズと別れたばかりでヤケクソになってスキンヘッドにした1児の母である、みたいなことが記されていた(度重なる転居でアルバムを紛失してしまった……)。このころはまさか、のちにレズビアンをカムするとは思いもしなかった。
EMOTIONAL VIDEO:THE DAY AFTER TOMOROW+SINEAD O'CONNOR : TROY
本人映像による「Troy」PVはこちら(音質・画質ともにあまり良くない)。
1990年リリースシングル「Nothing
Compares 2 U」(プリンスのカヴァー)とセカンドアルバム「I Do Not Want What I
Haven't Got」の大ヒットによって、押しも押されぬ実力派アーティストの座についたシネイドだったが、ラディカルな政治意識から数々の騒動を巻き起こした。
1992年にはアメリカのテレビ番組中に、妊娠中絶を認めなかった当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てた。キリスト教原理主義に対する厳しい批判を行ったことから各方面より非難を受け、引退を表明。ところが、1994年にはアルバムリリースとともに復帰。
1999年にはラテン・カトリック教会の女性聖職者に就任。2000年にはアメリカのL雑誌『Curve』にてレズビアンをカムアウト。2001年にはメジャー級オープンリー・ゲイ・アーティストたちによる全米ライブツアー“Wotapalava
Festival”にメインで参加予定だったが、ツアー初日の1ヶ月前に突然参加をキャンセル。シネイドに代わるアーティストをブッキングできなかったためツアーそのものが延期、そして最終的には中止となった。シネイドがキャンセルした理由は、英国の男性ジャーナリストと結婚するためだった。
2003年には2度目の引退宣言を発表。だが、2005年にはアルバムのリリースとともにふたたび引退を撤回。世間を騒がすエキセントリックなデムパ系アーティストとしても充分著名だが、体面を繕わず自身の心情やありかたに忠実なのだろうと好意的に解釈しておきたい。
ちなみに、現在のシネイドは身体全体が丸みをおびてすっかり貫禄がついたブッチ然としている。若かりしころの腺病質っぽいはかなげな容姿もそそるが、個人的にはブッチなシネイドにも充分萌える。
【関連URL】
Sinéad O'Connor(Wikipedia)(英語)
ファンによるサイト(英語)
Sinead O'connor "Sean Nos Nua"(cd review)(日本語)
シネイド・オコナー(Queer Musicians.)(日本語)
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