フツーに生きたいHETEROの日常
いぬのえいがひょう vol.063
私は貝になりたい (2008)
今回採り上げるのは、N国という国で製作された映画です。
N国は、大変面白い特徴がある国です。
N国は、法治国家らしいので、さまざまな法律がありますが、奇妙な法律がいくつもあります。
たとえば。
国家権力から情報を守るための、個人情報の保護は、N国では、国家権力だけが簡単に情報にアクセスできる法律になっています。面白いですね。
たとえば。
子供の生存権を守るための、子供の人権の保護は、N国では、子供の虐待の温床の家父長制的家族観を推進する法律になっています。面白いですね。
人権保護に似た表面だけ整えて、内実は正反対の人権蹂躙のためのものにしちゃうのが、N国はとても得意なようです。
セクシュアル・ハラスメントに関しても、これと似た認識の逆転が行われてきました。
現在のN国では、セクシュアル・ハラスメントに関して、「女性がセクハラだと言えばセクハラだ」という説明ばかりが広く知られています。
これは、被害者の言葉が押し潰され、性犯罪が隠蔽され続けてきたことを訴えているのであって、セクシュアル・ハラスメントの定義ではありません。
セクシュアル・ハラスメントとは、共有された性差別的規範、つまり、男らしさや女らしさを利用することによって、他者の意思を考慮せずに、欲望を充足することです。
しかし、一般に広まったのは「女性がセクハラだと言えばセクハラだ」という説明。
更に、ここで女性と認められるのは、貞淑な女性に限定されてしまいます。
貞淑な女性とは、性に嫌悪感を抱く女性のこと。
N国を支配しているのは、ヘテロ男性です。ヘテロ男性は、女性とセックスをしたがります。
女性が性を嫌っているならば、ヘテロ男性が女性とセックスをしたがるということは、相手が嫌がることをしたがるということです。
ヘテロ男性にとって、セックスの快楽とは、嫌がらせをする快楽なのでしょう。
また、男性同性愛を嫌うヘテロ男性もいます。
彼らはよく、自分が同性とのセックスをしたくない理由として、男の肉体は醜いから触りたくない、ペニスは気持ち悪いから見るのも嫌だから、といった理由を挙げます。
つまり、自身の肉体も醜いものと、自分のペニスも気持ち悪いものと認識しているのでしょう。
そういったヘテロ男性が、女性とセックスをするということは、相手の身体に醜いものを絡ませ、気持ち悪いものを押し付けているということです。
自分がされたら絶対に嫌なことを相手に行うことで、嫌がらせの快楽は更に高まることでしょう。
貞淑な女性を好み男性同性愛を嫌うヘテロ男性は、女性を辱め虐げることが大好きなのです。
そして、そんな暴力ヘテロ男性たちにとって都合のいい貞淑な女性たちの意見が、セクシュアル・ハラスメントの基準として採用されています。
性的な事柄の表明が、セクシュアル・ハラスメントである、と。
もともとの「女性がセクハラだと言えばセクハラだ」という説明は、隠蔽された性犯罪を明るみに出すためのものだったはずが、性犯罪を含む、性的な事柄を隠蔽するために利用されてしまうように変容されてしまったのです。
N国ではこのように、表面だけを取り繕いながら、もともとの理念と正反対のものにしてしまう詐欺行為が蔓延しています。
これは、民主主義国家を名乗るN国の、民主主義における自由の解釈の仕方にも共通しています。
N国では、「自由を享受するなら社会がおかしくても黙って社会に従う義務をはたせ」という奇妙な解釈が広くなされているのです。
それを言うなら、「自由を享受するなら社会がおかしいときは沈黙せず、社会に異義をとなえる義務をはたせ」でしょうに。
お上に意見する義務であるはずのものが、正反対に、お上に従う義務に差し替えられてしまっているのです。
また、詰め込み教育というものが行われていたN国では、民主主義の原理は多数決であると暗記されていることが多くあります。
多数決の正当性が定着したきっかけは、フランス革命。
当日のフランスでは、少数の支配者が富を独占していました。
富を独占していた少数の支配者をギロチン処刑し、多数の貧しい方々の利益を優先させたのが多数決の考え。
その考えの正当性の根拠は、平等の理念です。
N国では、かつて「総中流」という言葉が流行したように、多数の者がそれなりの満足した生活を営む状態が続いたことの影響もあるのか、多数であること、平均的であることが望ましいと規範化されました。
大多数の普通のかたがたが事実上、権力を独占する支配者、お上となりました。
そんな環境での多数決の遂行は、権力者の更なる優遇にしかなりません。
フランス革命時のフランスであるなら、虐げられてきたかたがたをギロチン処刑し、ただでさえ優遇され続けてきたかたがたを更に肥やすこと。そこには何の正当性も見出だせません。
多数の者が権力を掌握し、少数の者が割を食っている状況では、多数決は正当性を失います。平等の理念とは正反対のものになります。
絶対的な権威崇拝が広く信奉されている国なのですね。
そんなN国に相応しい映画が、またひとつ誕生しました。
太平洋戦争時のN国。
理髪師の男性、清水豊松は、異性愛規範に依拠した家庭を築いていました。
共に暮らすのは、房江というヘテロ女性と、房江とのヘテロ・セックスによって出来た子供、健一。
豊松は赤紙によって徴兵され軍隊勤務になります。ヘテロ家族と引き裂かれる豊松。
やがて終戦を迎え、ヘテロ家族との再会を果たした豊松は、また房江とのヘテロ・セックスをし、子供を授かります。
そんな矢先、今度は軍警察がやって来ます。
豊松は拘留され、戦犯の容疑において裁判にかけられます。
豊松は、軍の部隊の上官に命じられ、木に縛りつけられた捕虜に対して刀で切りつけたらしい。
上官の命令の意図は、軍の士気を高め、虐殺に慣れさせるための模範とするため。
豊松が切りつけた刀は、腕をかすめただけでしたが、致命傷になる可能性もあったでしょう。
また、この死体に切りつけてみせたことは、兵隊たちが、虐殺を肯定することへの多大な貢献にもなっています。
映画は、上官の命令に従っただけなのに罪を犯したと告発される豊松に同情的に描かき、かわいそう、かわいそう。ひどいことがあったんだね。と、観客に憐憫の涙を流す快楽を提供します。
豊松は、上官に絶対服従した。上官に絶対服従することは仕方がない。それは疑いの余地なく無実だ。そんな解釈をしなければ、この憐憫は成り立ち得ません。
そして、その解釈の前提は、環境の規範に従うことは、常に悪くないという信仰。
タイトルでもある「私は貝になりたい」という言葉は、豊松が誰とも関わらず、責任を問われない立場にいたいという欲求の比喩だそうです。
豊松は、当時の大多数が命令されるままに、赤紙に従い戦争に協力しました。普通であることの選択は常に、普通であることは絶対に悪くないという信仰に基づいてなされます。
それこそがまさに全体主義を成り立たせる考え方です。
豊松は、普通であることが免罪符にされると信じていたのでしょう。「貝」になるためにその時代の普通を選択し、戦争に協力したのでしょう。
この映画は、そんな戦争協力者を戦争被害者と描いています。
妻の房江は、豊松は無実だと訴え、署名運動をはじめます。
豊松の婚姻もどうせ、家庭を築くことが望ましいことだという与えられた規範に追従していただけでしょう。規範の中身を一切吟味することなく、その規範が社会的に権威づけられているから従うだけ。
豊松は、国家や普通の国民が価値を置く、ヘテロ婚姻をしてヘテロ既婚者という権力を持ち、国家や普通の国民が価値を置く、国家への隷属をして普通の国民という権力を持つ。その権力によって責任を問われないために。
普通に生きている者は弱者という印象付けがなされることで、普通に生きていることで得られる絶大な権力性を隠蔽されます。
日本の同盟国だったドイツでは戦後、一般市民がナチス協力者をリンチにしたこともあったようです。リンチの是非はともかく、加害を加害として扱っています。
日本軍協力者の豊松の加害を、この映画は被害として扱います。
日本国の得意な、実質と正反対の印象づけです。
ドイツ映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』
(2005)では、ドイツの優位をうたうナチスの支配に毅然と立ち向かったゾフィーの勇気を讃えます。
『ヒトラーの贋札』
(2007)では、ナチスの命令の裏をかいて抵抗しようとしたかたがたの姿が描かれます。
一方、N国で製作される戦時下を舞台にした映画は、この映画に限らずやはり、加害者である全体主義への協力者を被害者と扱うものばかりです。
N国で反戦運動をしたかたの映画には、大衆に知られているような規模のものはありません。
大衆が権威と化したN国では、大衆の権威に従順に従う者が、共感を呼ぶのです。
「貝」であるために、普通を選択する豊松は、戦時ではなくとも、同じ罪を犯すのでしょう。
いじめが蔓延している場ではいじめを見て見ぬふりをして黙認することで、いじめを成り立たせる環境維持に貢献しながら、責任を問われない卑怯な立場を選択するのでしょう。
性暴力の加害者は、「性の話をすることは悪い」などというその意味を吟味することのない暗黙のマニュアルによって、密室に隠されてしまいます。
そんなマニュアルによって、セクシュアル・ハラスメントの加害者が守られ、性犯罪の被害者へのバッシングを喚起し、マニュアルの賛同者は、性差別被害の理解者のふりをしながら暴力を隠蔽し続けています。
あ! そうそう! 実は、この映画、観ていません!
観てない映画について知ったように語るなんて、とてもN国らしいじゃないですか。
N国、バンザーイ!
そんなくだらないことより、あのね! あのね!
いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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『私は貝になりたい』を観る時間があるなら、こちらを観直します。
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