ミソジニーより、ホモソーシャルより、ホラーでしょ
[いぬのえいがひょう] vol.062
キャプティビティ
(2007) Captivity
若い女性が惨殺される事件が連続して発生していました。
犯人の次の狙いは、人気絶頂のフアッションモデル、ジェニファーでした。
拉致された分厚いコンクリートに囲まれた密室に監禁されたジェニファーは様々な虐待を受け、追い詰められてゆきます。
そんな中、ジェニファーは隣の部屋に自分彼女と同じように監禁されている若い男ゲリーの存在を知り、互いに励まし合いながら逃げ道を探すのでした。
しかし、このゲリーこそが犯人。
極限状態で共に行動することで信頼を得ることによって、ジェニファーとのセックスを楽しもうという計画だったのでした。
この計画には共犯者がいたました。ゲリーの兄ベンが、愛する弟の欲望を叶えるため、虐待ゲームに協力。
兄弟の間では、この虐待ゲームは3日間だけで、3日を過ぎたら女を殺すという約束でしたが、ゲリーがジェニファーに恋愛感情を抱き執着しだしたことをき切っか掛けに、計画は破綻していくのでした。
好きな女を落としたい男が、男友達にその女を乱暴させて、男はたまたまそこに現われたふりをして、ヤラセで女を救って感謝されて惚れてもらう。
これは、そんな、古い漫画のネタにあるような男らしい男に憧れる男の妄想を、「情けない男の妄想」程度の解釈で済まさず、ちゃんと凶悪犯罪として描いた作品。
女を守ってくれる男に憧れる女がいます。
女を守る男になりたいと憧れる男がいます。
女を、何から守るのでしょうか。女に危害を加える敵とは、何なのでしょうか。
このファンタジーが想定している敵は、暴力が起こる社会ならば、男の暴力。資本主義社会ならば、経済的な貧窮。
女への暴力は、男らしい男が行います。
女よりも肉体的な力が強いことを自負して、男である自分を肯定する男が、女に暴力をふるいます。
肉体的な力の強さという男らしさにひろく価値が置かれていることによって、男に生成されている欲望です。
女への庇護も、男らしい男が行います。
女よりも肉体的な力が強いことを自負して、男である自分を肯定する男が、暴力から女を守ります。
肉体的な力の強さという男らしさの信奉は、肉体的な力の強さという男らしさにひろく価値が置くことへの貢献です。
男の肉体的な暴力に価値を置いています。
男が、女を他の男からの暴力から守るのは、常にヤラセです。男の自作自演です。
女と男の経済格差は、男が就くことが推奨される職業で多くの金を得ることが出来、女が就くことが推奨される職業では少ない金しか得られないためです。
女よりも経済的な力が強いことを自負して、男である自分を肯定する男が、女に低賃金を設定しています。
経済的な力の強さという男らしさにひろく価値が置かれていることによって、男を優遇するために設定された経済体系です。
女への庇護も、男らしい男が行います。
女よりも経済的な力が強いことを自負して、男である自分を肯定する男が女を守ります。
経済的な力の強さという男らしさの信奉は、経済的な力の強さという男らしさにひろく価値が置くことへの貢献です。
男の経済的な暴力に価値を置いています。
男が、女を経済的に守るのは、常にヤラセです。男の自作自演です。
この映画のゲリーの行動と、現在の性差別社会に男として適応している男の行動とは、とてもよく似ています。
男が女を守ることは、男から女への暴力への貢献。
では男は、どうすれば良いのでしょう。
この映画のゲリーがどうするべきなのでしょう。
簡単です。一刻も早く自首すれば良いのです。
ジェニファーやこれまでの被害者に対し謝罪と保障を行い、刑を執行されましょう。
つまり、男は、女を守ってやるなどというおこがましい考えをやめて、罪を償えば良いのです。
たまたま男尊女卑の社会に、男と見做される身体に生まれ、男に同一化することで、肉体的な力や経済力を持ってしまったことを、恥じ入り、男の身体から男を追い出せば良いのです。
いたって簡単なことです。
いつ破綻してくれるのでしょうか。
一方、ゲリーの兄ベンは、ひたすら弟ゲリーに執着しています。
共に女を殺すことによって培ったゲリーとの絆。
過去に殺した女たちの遺体写真をアルバムに綴じて、ゲリーと育んだ思い出を大切にします。
ベンを演じるのは、プルイット・テイラー・ヴィンス。
名脇役を好む一部の映画好きからは「味がある」と、優しそうなおでぶちゃんを好む一部のゲイから「かわいい」、と人気の高い俳優です。
『君に逢いたくて』(1995)での、秘かな片想いに身を焦がす優しい青年役や、『モンスター
』(2003)での、気弱な買春客役、など、大きな身体でもマッチョにはならない(なれない)役柄が多いプルイット。
『海の上のピアニスト』(1999)では、親友との別れの切なさを表情だけで見せ切った名演が光っていました。
ここでも、弟への愛情を何よりも優先し、他者の被害が目に入らなくなるベンを繊細に演じています。
好きな男のために他が見えなくなる男。
同性愛者にもよくあることですが、同性愛とは限りません。
異性愛者にもよくあることですが、異性愛とは限りません。
女への暴力の共有によって結ぶ男と男の絆。
この映画とは違い、現実では暴力は当事者たちの認識からも隠されて、気付きにくいものでしょう。
男らしさや女らしさが望ましいと扱われる限り、男らしさや女らしさの選択は、自由選択であっても、他者の選択の自由の制限として作用します。
男はどうなのでしょう。
男らしさを肯定する男はどうなのでしょう。
女らしさを肯定する男はどうなのでしょう。
男らしさを肯定する女はどうなのでしょう。
女らしさを肯定する女はどうなのでしょう。
そして、女はどうなのでしょう。
どうなのでしょうね。
男や女という、つくられた自分は、自分自身の認識からも隠され、暴力性は更にその奥へ隠されます。
隠された暴力へに対するの抵抗の手段は、暴力に光を当てることが推奨されます。報道によって、告発によって。
そうすれば、問題には、ひろく認識される可能性がもたらされあまする。
そんな、正攻法の抵抗以外にも、シンプルな方法も、あります。
そして、この映画のジェニファーは最後に、シンプルなすっきりした解答をすっきりと導き出しました。(※注)
ミソジニーの解答しかなかったゲリー。
ホモソーシャルの解答しか出せなかったベン。
それに対する、ジェニファーの、きわめてホラー的な模範解答が楽しい映画です。
あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
※ 注:日本の劇場での公開版について書いています。このバージョンは販売専用DVDとして発売されていますが、レンタル用DVDでは、結末が異なっているようです。
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