最低ラインは充分すぎるライン
[いぬのえいがひょう] vol.082
怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス (1972)
海底で眠っていた怪獣が、原水爆実験の影響で目覚め、東京湾に上陸。
怪獣は自衛隊によって殺され、お腹にみごもっていた子どもが残されます。
こどもはダイゴロウと名付けられ、ある孤島で日本国の管理下で飼育されることになりました。
しかし、国税では巨体のダイゴロウの餌代をまかなえなくなります。
餌代を抑えるため成長を止める薬品が開発され、ダイゴロウに与えられます。
ダイゴロウを可愛がる飼育係は、「自分の子どもの成長を抑えろと言われたらどうなんだ」と激昂しますが、ダイゴロウは、身体に害があると気づいても、人間たちの事情を察して薬品入りの餌を食べるようになります。
ダイゴロウを不憫に思った善意の子どもたちと、陽気な発明家のおじさん、気のいい大工の熊五郎らが立ち上がり、募金運動を行います。
そんなある日、汚染による大気の変動のため地表に落石してきた隕石の中から、凶悪な宇宙怪獣ゴリアスがあらわれ、頭の角から放つ電撃波で街を破壊しはじめるのでした。
ダイゴロウを救うための募金運動は、なかなか思うように展開できません。
国民たちの多くは、自分たちが納めた税金を怪獣のために使われることに反対しているようです。
気が短い熊五郎は、ヤジを飛ばす聴衆に怒鳴り返します。
「戦闘機を一機減らせばダイゴロウは養えるってえのに。自分たちは腹いっぱい食ってるくせに、動物一匹食わせてやれねえってのかい。けち」
聴衆の中にいたビジネススーツの男が、「動物じゃない。怪獣だ」と煽り返します。
危害を加えるわけでなくとも「動物」ではなく「怪獣」という枠組みでとらえられただけで、排除に値するのです。
実質は考慮してもみないのでしょう。それが何者なのかは、名付けだけで判断されます。
表面の印象操作だけに流されやすい大衆の傾向を的確に表した名場面です。
真面目に働いて稼いだお金を税金として国に納めているのは、自分たちに還元してもらうのは当然、税金は自分たちのもの、という考え方があるでしょう。
しかし、野次を飛ばしたビジネススーツ男が稼いでいるお金ははたして、やましくない手段で稼いだものだと言えるのでしょうか。
映画の中でも、凶暴な怪獣ゴリアスへ核弾頭使用の是非を話し合う場面で、環境汚染をしている企業についても触れられます。
「工場からの廃液で十年かけて海を殺すのは良くて、核で一瞬で海を殺すのは駄目ってのかい!?」
また、現在の大部分の日本企業では、職場ぐるみで延々と性差別発言や性差別行為を行うか、それを行う者を黙認することが、円満に勤務できる最低条件なのだと断言できます。
この映画がつくられた1970年代が、現在の状況より良いとも考えにくいでしょう。
そして、そうして稼いだお金は、何に使われるのでしょう。
よく聞くことは、特に制度的婚姻者の男の口からよく聞くことは、妻子を養うこと。
妻子。ペニスとヴァジャイナを用いた異性愛性交に起源を置く関係。
妻子を養う生活。
それは、ミーハーでチャラチャラした考えなしのだらしない生活とは対極の、堅実なものと扱われます。
けれど、男と女が結婚して子どもをつくり家庭を築くことは、自分で考えたものではないでしょう。
考えなし。
たいていは、ひろく語られる価値観を鵜呑みにするだけのミーハーでチャラチャラした考えなしだからこそ、スタンダードとされるその性交を行い、スタンダードとされる家庭生活に落ち着いたはずです。
思考を停止して、その関係性が「堅実」と名付けられており、それを行う者が「大人」と名付けられているなら、そう思いそう感じて自己肯定もするでしょう。
「怪獣」という名付けによる他者否定も、「堅実」、「大人」という名付けによる自己肯定も同じこと。
名付けだけ、言葉の印象だけに流される、考えなし加減です。
それが現実です。それが現実と語られるものです。
しかし、その現実は、三次元の物理法則について語っているわけではありません。
現実という言葉は、現実というよりも、人間社会という期間と地域を限定した世界を担う大人たちが共有する幻想を指し示すに他なりません。
現実の設定は、大人の事情に基づきます。
またここで、よく聞く事情は、特に制度的婚姻者の男の口からよく聞くことは、妻子を養うこと。
そのために必要なお金の最低額は、幾らでしょう。
そんな質問に、なんとはなしに、その時代の平均金額を挙げるかたがいるでしょう。
当然ですが、全人口の半数の持つ金銭は平均以下です。
半数の者は必要なお金を得られていないことになります。
平均が必要最低額であったとしたら、その経済は破綻しきっているはずです。
事情。大人の事情。それは、いつも過剰です。
大人の事情とは、自分たちのわがままを押し通すために現実を歪めること。
大人の事情とは、なんと幼稚なのでしょう。
大人であることは、なんと幼稚なのでしょう。
一方、この夢のある楽観的な子ども向け映画は、なんと幼稚ではないのでしょう。
幼稚に大人ぶったりはせず、ベタだけれど可愛げのあるお笑いネタに乗って、ダイゴロウの健気な活躍に手に汗握って楽しみましょう。
凶悪怪獣ゴリアスが街を荒らしまわっているとき、自衛隊は出動しませんでした。
ダイゴロウの母怪獣を虐殺したときには登場していた自衛隊が、そうできない理由の説明もなくゴリアスに対しては出動されません。
これは不自然ではありますが、軍装備の描写に凝った昨今の日本の怪獣映画に比べ、特に映画のクライマックスで、男性ジェンダーが投影された軍事萌えのひけらかしがないことは大変心地が良いものです。
悪くないラディカルさを備えたこの映画、難点を挙げるとしたら、ダイゴロウやゴリアスの腕や指が人間に似た形状をしているところでしょうか。
そう。いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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