上野千鶴子は男好き
[いぬのえいがひょう] vol.0 “85”
ハチ公物語 (1987)
大正十二年十二月。深い雪の積もる秋田県は大館の民家で、五匹の素晴らしい秋田犬の子犬が生まれました。
そのうちの一匹を、東京の良家、上野家へ譲り渡す話があがります。
上野家の夫の上野秀次郎や妻の上野静子は、以前共に暮らしていた犬のごんすけを亡くして悲しい思いをした経験から、「生き物を飼うのはもうよそうよ」と反対します。
娘の上野千鶴子はどうしても飼いたいと熱望したため、子犬は上野家にやってくることになります。
翌年、秋田から子犬が到着する日、千鶴子は使用人と共に駅へ犬を迎えに行くはずでした。
しかし千鶴子は、当日になって急に、子犬の迎えを使用人にだけ任せます。
森山という婚約者の男からデートの誘いを優先したのです。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
男を追いかけるのは、すべてに優先するのでしょうか。
犬を飼いたいと言ったのは千鶴子です。なんという無責任。
その日の夜、悪びれもせずに屋敷に帰ってきた千鶴子が抱きかかえると、子犬は千鶴子の顔をぺろぺろ舐めて甘えます。
子犬は、前足を八の字に踏ん張っている姿から、末広がりの「八」、ハチ公と名付けられます。
しかし、そのころ既に森山の子どもを身ごもっていた千鶴子は、すぐに森山と結婚することになり、ハチを置いて家を出ることになります。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
男との結婚が、すべてに優先するのでしょうか。
犬を飼いたいと言ったのは千鶴子です。なんという無責任。
千鶴子は、森山に、「私の愛はあなただけに捧げます」という意味で、「犬は連れていきません」と、告げます。
教会で挙げられる式。
「上野千鶴子。汝、この男子に嫁ぎ、神の定めに従いて夫婦とならんとす。汝、その健やかなるときも病めるときも、これを愛しこれを敬いこれを慰めこれを助け、その命の限りかたく節操を守ることを誓うか」
「はい。誓います」
ハチを飼うといった誓いは投げ捨て、男には誓いを立てるのです。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
男との誓いは、すべてに優先するのでしょうか。
犬を飼いたいと言ったのは千鶴子です。なんという無責任。
千鶴子が飼うと言っていたことなど知らないハチはその頃、屋敷の軒先を駆け回って遊んでいました。
それから秀次郎はハチを溺愛し、ハチも愛された以上にそれに応えるようになります。
ハチは、秀次郎の出勤を渋谷駅まで見送り、秀次郎が帰るまで待ち続けます。
犬の寿命は、人の寿命より短いので、好きな相手に先に死なれる、喪失感の辛さを味わうことが多いでしょう。
けれど、相手に喪失感を味わわせるくらいなら、自分が喪失感を味わうほうがまだいいでしょう。
好きだから、悲しみは、自分が引き受けたいのではないでしょうか。
年下の千鶴子はハチを捨てて、年下の森山と結婚しました。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
男は、結婚相手に年下の女性を求める傾向があります。
物事を経験する機会や思索の時間が多く取れるぶん、年上のほうが知恵をつけることに有利です。
男が年下の女を望むのは、優越感を感じやすくするため。
家父長制的家族制度に女を組み込むのが目的であるなら、年下の女を望むのは妥当なのでしょう。
恋愛結婚という、好意を寄せ合ってはじまるパートナーシップの場合でも、年上の男、年下の女という傾向が多く見られます。
これは、旧来の家父長制的異性愛性志向の影響があるだけでなく、年上のほうが早く死ぬ可能性が高いからという理由も仮定できます。
女は、相手の男が好きなので、喪失感を相手に味わわせず自分が引き受けるという覚悟をします。
男は、相手の女を利用したいので、喪失感は相手に押し付け、ついでに老いていく自分の世話も相手に押し付けます。
仮定してみましたが、これは、くだらないこじつけだと思います。
男も女も、そんな先のことまで考慮しているわけではなく、そういう関係の好みが文化的に刷り込まれているが故、その社会のその世界の多くの好みに迎合して作り上げた、全体主義的な考えが好みに影響して成立した好みなのでしょう。
秀次郎はハチの死を見送るはずでした。喪失感を引き受けるはずでした。
しかし、秀次郎は、勤め先の大学の教壇で倒れ、急逝してしまうのです。
ハチは、決して秀次郎の帰ってくることのない渋谷駅で待ち続けます。
未亡人という言葉があります。
これは、夫を亡くした妻を指し、妻を亡くした夫を指すことはありません。
死んだ夫のもとへまだ旅立っていない妻。
女の一途な想いに価値を置いた言葉です。
未亡人という言葉が、女しか指さないことが不思議です。
この映画は一途な犬の美談です。
秀次郎が死んでもなお、秀次郎を求め続けるハチは、雄犬です。
一途さに、雄か牝かなんて、関係ありません。
一途でなければならないとは思いませんが、ハチの一途な愛情は崇高です。
千鶴子は、一途に森山を愛するために、ハチを捨てました。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。なんということでしょう。
なんと穢れきった一途さもあるのでしょう。
急にデートが入ったからと事前の約束を破るかたは嫌いです。
千鶴子は、男好きです。社会から権威づけられた「異性愛」というものが大好きなのです。
権威主義の遂行のためなら、約束なんて破っていいと思っているのですか。
ハチは、約束なんてしなくても、渋谷駅にいましたよ。
ハチ、素晴らしいよー。ハチってすてき。
あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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