非トランススピーシー特権チェックリスト
[いぬのえいがひょう]
vol.087
PLANET OF THE APES/猿の惑星 (2001)
Planet Of The Apes
1968年に映画化され4本の続編と1本のテレビシリーズが製作されたピエール・ブールのSF小説『猿の惑星』。
これはティム・バートン監督による再映画化作品です。
猿が人間を奴隷として酷使する社会。
人間の権利を保障することを主張するチンパンジーのアリは、奴隷商人の檻の中に、宇宙からやってきたと言う人間のオス、レオを見つけます。
レオが人間でありながらそれほど醜くない猿に近い顔をしていたためか、アリはレオに一目惚れをしてしまいます。
レオは、アリが数少ない自分の理解者になると踏み、乗ってきた宇宙船に戻りたいとアリに協力を乞います。
それは宇宙開発など耳にしたこともない猿社会では、突拍子もない話。
アリは半信半疑なものの、惚れた弱みか、彼の逃亡を手助けします。
しかしレオは、逃亡の途中で拾ったメスの人間デイナに発情しはじめます。
アリの恋慕の気持ちを知ってか知らずか、そもそも種を越えた性愛を考えてさえいないのか、レオは猿のアリには性的な興味を全く示さず、堂々と人間デイナへの性欲を表明します。
レオとデイナのいちゃつきを見せつけられて嫉妬に狂ったアリは、あの手のこの手のテクニックを駆使してレオを誘惑しますが…。
初期脚本の段階では、そんなお話を予定していたそうです。
完成した映画も無理に深読みすればそんなお話に読み解けなくもないですが、異種恋愛の要素はかなり薄められていました。
なんでも、異種恋愛は倫理的に間違っていると眉をしかめて嫌悪する方々がいるらしいのです。
そんなかたからの反感を回避するために薄味にしなければならなかったとか。
異種恋愛だということがぼかされたとはいえ、人間を蔑視する猿社会でアリたち人間保護運動の活動家が人間好きの変態と揶揄される描写は残っています。
特にアリは、猿より人間に親近感を抱いているようです。
もしかしたら、アリは自分の猿の姿に違和感を持ち、人間に同一化しているのかもしれません。
種同一性の違和。トランススピーシーです。
トランススピーシーのかたは、猿への種同一性を疑わない猿社会で日常的に抑圧を受けています。
その立場を逆に言うと、猿社会に生きる、種同一性が一致した猿は、猿社会で多大な特権を享受しているということです。
その社会を逆に言うと、人間社会に生きる、種同一性が一致した人間は、人間社会で多大な特権を享受しているということです。
その特権とは、どういったものでしょうか。
The
Cisspecie Privilege Checklist
1.自分のアイデンティティを公言したり、相応しくないと見なされる種的行動や特徴を持っているせいで、家族や友人から追い出されたり、仕事をクビにされたり、自分の家から立ち退きさせられたり、病院で不十分な手当しかうけられなかったり、暴力や性的虐待に苦しめられたり、メディアに愚弄されたり、宗教団体から説教で批判されたりする、トランスジェンダーや同性愛のかたがたからさえ、アイデンティティを公言しても聞く耳を持たれないことは、ないと思う。
2.自分が自分とは違う名前で呼ばれたり、妥当じゃない呼称を使われたりすることはないと確信できる。
3.人間との関係だけを強制され、自分と同じ種と戯れたくても「我慢する」という憤りに苦しんだことはない。実のところ、公共施設が人間だけに開かれていることを、気にしなくてもいい。
4.もし入院したり収容されたりしても、種で区別された施設で間違った場所に入れられないか、心配しなくてもいい。
5.人間以外の動物を拒絶するサービスを受けようとしたり催しに参加しようとして、拒絶されないことを思い悩むことはない。
6.無邪気な子ども時代が、目覚めたら違う種になっていますようにという絶望的な祈りで乱されるということはなかった。
7.異なる種に生まれたために子ども時代や思春期を失ったことを悲しんだことはない。
8.好意を向けあうことになるかもしれない相手の態度が、私の種のために、ほれ込んだ態度からいきなり軽蔑、暴力にさえ変わるかもしれないと心配したことはない。
10.
雑誌を手に取ったり、映画やテレビ番組を見たり、劇場に行ったり音楽を演奏したりするとき、自分の種が表現されているだろうという確信がある。
11.
自分が人間へ持つ恋愛感情は、普通でまともだと信じて育ってきている。
12.
自分の種について政治的な意味を込めずに考えることができる。
13.
同僚たちに自分の種を明かしても、みんなそれを受け入れるだろうと当然想定出来る
14.
自分の種を理由として自分だけ仲間はずれにされているような気分だったり、恐れる気持ち・恐れられている気持ちや、孤独感、攻撃されているような気持ち、遠巻きに見られているような感じや、自分の意見を聞いてもらえない感覚、勝手にステレオタイプで見られているような感じなどを持たずにいられる。
15.
「負け犬」、「猿並みの知能」、「馬ヅラ」、「人でなし」などとは違って、「人間」という、自分の種を示した言葉が罵倒語として定着することはまずない。
16.
自分の種について間違われることはないと思う。
17.自分が人間と扱われることが怖くてきちんと医者に罹らず、自分の健康を危険にさらすことはないだろう。
18.体のすべてを締めつけたり挟み込んだりして隠そうと考えたことはない。
19.声帯の形状を変えようと考えることはないと思う。
20.専門医に病気の診断を受けたとき、医療保険の適用から除外されないのは、自分が自分の種について嘘をついているからだとは思わない。
21.人間として、ほぼ年齢相応に見えるし、体も他の個体と同じようなサイズ、型をしている。
22.人間だから、全身が毛で覆われることはまずないだろう。
23.現在の身体と異なる種への全身の適合手術が開発されたとしたら是が非でも受けたいとは考えない。
24.葬儀のとき、家族は私が生前望んでいたのと違う種の見た目をした写真を飾ったりはしないだろう。
25.見たままの種で受け入れられるかどうか心配しない。受け入れられなかったらどうなるか、その結果自分の非トランススピーシーの特権を失うということには気づかない。実のところ、私には自分のシススピーシー的特権に完全に無自覚でいる特権がある。
26.人権という概念は、多様性を保障しマイノリティの救いになると信じきっている。「人権」「人として」といった言葉を耳にするたびに、絶望的な疎外感を感じたりはしない。
以上は、人間自認人間が持っている特権のほんの一部の例のリストです。
トランススピーシーを自認するかたがたの生活が多岐に渡っていることは事実ですが、このリストにあるような特権を得ることは実際には難しいのです。
『ミーシャ ホロコーストと白い狼』
1942年。ナチス統制下のベルギー。
ユダヤ人自認人間と、ロシア人自認人間の間に生まれたため、ナチスに追われている8歳のミーシャは、両親が収容所へ連れ去られたあと、心ある支援者たちに保護され農場で働くことになります。
農場の2匹の犬、ママ・リタ、パパ・イタとも仲良くなります。
豚肉を食べてはいけないことを知らず、人間たちよりも犬たちとの意思疎通が得意なミーシャは、ユダヤ人というより、犬です。
しかし、人々はミーシャを犬ではなくユダヤ人だと決め付けます。
やがてユダヤ人弾圧が激化。
軍の追っ手は犬をけしかけますが、その犬はミーシャの説得によって状況を理解し軍人たちに反逆します。
なんとか追っ手から逃れたミーシャは空腹に耐えながら森の中を進み、やがて出会った狼と意思を通じあわせ、行動を共にしていくのでした。
もっとも、この物語の原作者は、ナチの弾圧を受けたのは実話ですが、狼との暮らしには創作が混ざっていることを明かしています。
創作だったと知って、安堵するかたもいるでしょう。
人類優位主義に凝り固まった人間同一化人間は、きっとそうでしょう。
そんなかたは、トランススピーシーを荒唐無稽なSF設定でのみ有り得る概念と片付けるかもしれません。
セクシュアル・マイノリティの存在が可視化されるまで、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーは、現実にはそう滅多に存在しない、少なくとも身近には存在しないと思っているかたが多くいました。
充分に可視化されているとは言えない現在ですから、まだいるかもしれません。
トランススピーシーはセクシュアル・マイノリティ以上に、可視化されていません。
あ! そうそう! いぬかわいいよー! いぬってすてき! わんわん!
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