アジアンクィア映画祭観てきたよ
ヤウ・チンの短編『I’m Sterving私は飢えている』がクィアで面白かった(「クィア映画祭」と銘打つからには、こういう作品がメインであるのが望ましいと思うんだけどな)。
性欲と食欲は比例もしくは比喩の位置関係に置いて語られるのが定番だが、この小品は両者をともに脱臼させている。中国系女性の幽霊はテイクアウト用メニューのチラシやフォーチュン・クッキー(?)のなかのメニューが書かれた紙を食べる。ヴァリエーションは豊かだがそれらはしょせん紙でしかない。一方、労働者階級のアフリカ系女性は、貧困ゆえか偏食なのかインスタントラーメンばかり食べている。どちらにしても、いくら食べても満たされない。あるいは、「食べる」という行為が養分摂取でもなく快楽でもなく、呪われているように見える。
家賃滞納に怒る家主が部屋を訪れドアを開けると、そこはもぬけの殻。あのアフリカ系女性は夜逃げしたのか、あるいは彼女もまた幽霊と同じように、はじめから存在しなかったのか。NYにおける労働者階級の、有色人種の、女性の、同性愛者という多重マイノリティは、可視化されない幽霊のような存在だという社会的メッセージをはらんでいるかのようだ(なんというベタな解釈)。
『Moken, right?』に登場するゲイのヴォーは、大泉洋に似ていた。LGBT差別と人種差別の共通点をわかりやすく知るには手頃な教材。しかし、ラストのヴォーの語りはちょっとあざとい感じがして冷めた。小学校のころ見せられた道徳映画教材のような。
これはある種の問題作。といっても、ここで取り上げたいのはイスラエルでは女性も徴兵されるという社会問題ではなく、ドキュメンタリー映画のフレームもしくは倫理の問題である。
上映がはじまって数分で、登場人物のひとりであるスマダー指導教官が、撮影者であるヘン・ラスカー監督に特別な感情を抱きはじめていることがわかる。監督はけっしてカメラの前に姿をあらわさないが、スマダーとの会話から、まんざらでもない感じが見て取れる。ふたりのやり取りはまるで、相思相愛でありながらお互いの腹の探り合いをして「恋愛の前戯」を楽しんでいる恋人たちのようだ。
一方、訓練生のロテムはスマダーにご執心。上官と目が合ったら下士官は目を背けて下を見るというルールがあるが、ロテムはそのルールを無視して、「どちらが先に視線をはずすか?」ゲームをスマダーに挑む。スマダーはそのことを、少しうろたえながらヘンに報告する。
夜戦訓練の際、ロテムが過呼吸発作を起こした。スマダーは涙を隠しながら、ロテムを落ち着かせようと声かけをする。後日、撮影中の面白いエピソードを聞かせてくれとせがむロテムに、ヘンはよりによって、「スマダーが過呼吸を起こしたロテムのことで一日中泣いていた」という情報をリークする。「私のために泣いてくれるなんて嬉しい」とロテムは舞い上がるが、ヘン、なんなんだそのアウティングは?
スマダーはかなり繊細な感性の持ち主なのだが、自分のそういう部分は見せないようにして、訓練生に対しては「厳しい教官」であろうとしている。軍事における「優しさ」は、訓練生にとっては命取りになるかもしれないからだ。なのに、ヘンは上官のプライベートな面を訓練生にアウティングした。ロテムのスマダーに寄せる感情を知っているからこそ、妙に期待させるような情報を漏らしたのだ。「でもスマダーはあたしに夢中なんだぜ」ってことも内心思っているわけで。なんて腹黒いヤツ。
訓練生たちの修了式。スマダーの感情はとても不安定になっている。仲間の上官たちが自分の誕生日をサプライズ的に祝ってくれたが、いきなりトイレに駆け込んで号泣しだす。理由はわかっている。訓練終了とともに撮影も終わり、ヘンと別れるのが辛いのだ。しかし、スマダーは決して自分の思いをヘンにストレートに伝えることができず、ひたすら泣くばかりである。そのスマダーを、ヘンはしっかり抱き寄せる(その場面もしっかり固定カメラに収めている。下半身だけだけどw)。
訓練生たちの様子は長~い前ふりで、最終的には監督が主役をかっさらっちゃったよ、みたいな感じ。被写体と撮影者の私的感情のハッテンぶりを隠さずに開示したのはある種の評価に値するとは思う。これで監督がヘテ男だったらただの武勇伝自慢というかむしろパワハラ容疑濃厚なわけだが、いくらイスラエルが同性カップルの法的保障制度の成立を進めていようとも、国そのものがゲイフレンドリーというではないので(ヘイトクライムが頻繁に起こっている)、女性同士の恋愛模様を開示するだけでもかなりの覚悟が必要だと思う。
ヘンが自分のプライベートな感情をいくら露出しようが、その露出度は自分でコントロールできるのだから別にどうでもよい。問題は、スマダーのプライベートな感情の扱いである。ヘンは監督業だがスマダーは軍人だ。女性オンリーの軍隊でレスボフォビアに基づく嫌がらせが起こらないとも限らない。それに、スマダーもカメラで撮影されているのを承知で自分の感情を吐露しているのだからそのまま公開されても文句は言えない、などというのは映画ヤクザの屁理屈である。ひとの感情や状況判断はその都度変化するものだから(実際スマダーはカメラに向かって「カット」とつぶやいているシーンがある)。
撮影終了後のふたりがどうなったか知らないが、仮にスマダーと恋人関係になったとして、「これが私たちのなれそめだよ☆」なんていうだまくらかしフォローで納得させているとか、公開前にスマダーも試写を観て了承しているとかいう手順が踏まれているとしても、ふたりの関係や感情の流れが移り変わって、「あのときはOKしたけど、いまはもう嫌」となることだって大いにあり得る。
そういうわけでクマは、このふたりの心もよう的な映像を、「愛し合うって素敵なこと! なにも隠す必要はないし、恥ずべきことでもないわ!」っていうゲイフレンドリー初心者にありがちなお気楽目線では観られなかった。なんか胸騒ぎがする。でもラスカー監督の腹黒さ(決めつけ)はそんなに嫌いでもない。複雑。
ま、どのみち、ドキュメンタリー系に限らず、作家的な仕事をしている者は、「友だちをすべて失うかもしれない」とか「いつかだれかに刺されるかもしれない」という覚悟をつねに持っておいたほうがいいと思うよ。「ネタもほしいけど友だちも失いたくない」なんて眠たいこと言ってるヤツは、いつかきっと手痛いしっぺ返しを食らえばいい食らうと思うんだ。
なお、ニコニコ動画でこの作品全編がほぼ日本語字幕付きで観られる(ちなみにAQFFで上映されたものとは編集のヴァージョンが異なる)。ただし、ひとによっては不快に感じられるコメント多数。イスラエルの言語がわかるひとや英語字幕でOKなひとはコメント機能をオフって大丈夫だけど、日本語字幕が必要なひとは、字幕もコメントとしてアップされているので、そこらへんはアルカイック・スマイルで華麗にスルーしてほしいわけなんだ。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: アジアンクィア映画祭観てきたよ
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.delta-g.org/mt/mt-tb.cgi/892





















「AQFF」第1回のときに行きました。
むちゃくちゃ、気に入りました。
コンセプト・プルグラム・ゲスト・スタッフ・会場・街、みんなすてきで、・・・。
今回、顔を合わせたくないひとと会いそうなので、東京行きは断念しました。(まあ、それ以前に、自分たちのイベントがあったりして、スケジュール的に難しかったんですけどね。lrlさんたちにお会いしたかったなぁ~~。)
『砂漠の少女たちSeeds of summer』、ニコ動で見れるのですか? ご紹介ありがとうございます。
確かに、ニコ動うっとうしいけど、まあ、こういう作品は本当に映画祭でもないと見れないものね。