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同情よりも関心とアクションを!

2010年1月21日 10:24 ミヤマアキラ
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[名前はまだない 040川口有美子「逝かない身体」

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症amyotrophic lateral sclerosis)を発症した母・祐子さんの、12年にわたる闘病と介護の記録が本書の中心テーマとなっているため、ALSについてよく知らないひとにとっては私小説風の読み物としてとらえることができる。しかし、本書を「涙なしでは読めない感動の一冊!」として情緒的にすぎる扱いをするのは、おそらく著者の望むところではないだろうし、わたしの望むところでもない。

難病情報センター平成19年度の統計によると、ALSは全国で約8000人弱が罹患しているとされる、運動ニューロン病(MND: motor neuron disease)の一種。神経細胞あるいはそこから出てくる神経繊維が徐々に壊れていき、体が動かなくなっていくという進行性の病気で、有効な治療法は確立されておらず、特定疾患に認定されている指定難病である。

 

母・祐子さんがこの病気に罹患するまでの川口さんは、海外駐在員の妻であり、2児の母であり、専業主婦であった。小学校教員時代には障害児の特別学級を担当したが、当時は「『なぜ彼らが、教育を受ける必要があるのだろう』という疑問さえ持って(p92)」おり、「彼らのことはかわいいとは思っていたけれども、(中略)どんなに教えても何も覚えない子どもと過ごす時間は空しく感じられ、打てば響く中学年の普通の子どもたちの教育を早く始めたいと願い、焦っていた(p93)」。

 

ところが、1995年に祐子さんの介護のために夫ひとりをイギリスに残して実家に戻ってからというもの、さまざまに困難な問題に直面し、それまでの価値観やものごとのとらえかたがどんどん変わっていく。

 

たとえば、翌96年の衆議院選挙の際には、寝たきりで手足が動かなくなった祐子さんのため自宅に投票用紙を取り寄せたが、郵便在宅投票は自筆厳守とのことで、四肢麻痺の人には実質的には参政権がないも同然だった。「内緒で代筆するから」という川口さんに対し、祐子さんは「それでは意味がないから断る」と拒絶。川口さんの妹の千佳子さんが、祐子さんの意志を文字盤で読み取って嘆願書を代筆して日弁連に送付したことから、2000年に「ALS選挙権国家賠償請求訴訟」がはじまり、「制度がなかったことは憲法違反である」として、2003年には議員立法によって公職選挙法の一部改正法律案が提出され、可決された。

 

日々の介護においても問題は山積みだった。そもそも心身障害者(児)向けのホームヘルプサービスは1966年にはじまったものの、東京都における当初の設置計画数は区部60人市部14人の合計74人(「昭和41年版 東京との社会福祉」より)。72年当時には171人で907世帯をカバーしていたが、ホームヘルパーを必要とする心身障害者は推定3,370人であり、ニーズを満たすには674人のヘルパー設置が必要とみられたが、増員は129人とされ(それでも必要数の半分以下)、結果的には29人の増員で合計200人(必要数の3分の1以下)だった(「昭和48年版 東京都の社会福祉」より)。

 

祐子さんの介護が必要となった90年代半ばも、状況はさして変わらなかった。在宅介護となると必然的に家族が介護要員となり、個人的にヘルパーを探してシフトを組まねばならず、しかもボランティアなので1日24時間365日いつでも介護に入ってもらえるわけではないため、夜間や深夜は家族が介護に当たらざるを得ず、疲れが澱のように溜まって心身ともに疲弊していく。これではどの家庭でも介護殺人がいつ起こっても不思議はない。

 

また、ALS患者の在宅介護とは、要するに病気の進行により呼吸筋麻痺が起こって自発呼吸が困難になるため、気管切開を行って人工呼吸器を装着しての療養を意味する。そして、患者は自力で痰の排出を行えないため、カテーテルによる吸引が(場合によっては15分に1回の頻度で)必要となる。ところが、痰の吸引は医療行為(*)とされ、家族か医師・看護士以外には禁止されていた。つまり、ヘルパーには痰の吸引ができないとされていた(現在でもグレーゾーンとされている)。しかし、頻繁に必要とされる痰の吸引が、せいぜい週1回しかこない訪問医か訪問看護師にしかできないとなると、その他の時間はずっと家族が張り付いていなければならないことになる(ちなみに訪問看護師に24時間介護を依頼するとなると月々およそ400万円也)。

 

(*)このほかにも、経口摂取が不可能になると胃瘻(いろう)を用いるが、胃瘻を通じての水分・栄養補給、服薬投与も医療行為とされている。

 

在宅介護以前の大きな問題としては、ALSに罹患したと分かったときから、患者本人と家族は「将来的に人工呼吸器をつけるかつけないか?」の覚悟を迫られつづけることが挙げられる。人工呼吸器をつけないという選択は、すなわち死を意味する。患者本人が「家族に迷惑をかけたくない」と遠慮して呼吸器をあらかじめ辞退するケースもあるが、多くの場合は「そのとき」がくるまで迷いつづけるのではないかと思う。あらかじめ辞退したとしても、いざ自発呼吸ができなくなって苦しくなったとき、意志を翻すかもしれないし、その翻した意志を家族や医師が必ずしも忠実に受け取るとは限らない。患者のリビング・ウィルを尊重するという形で本人を「見殺し」にするかもしれない。

 

「尊厳死を希望していた患者が呼吸困難になったとき、やはり生きたいと言い出しても、前言撤回を認めない医師がいる。つまり、呼吸器をつけないとずっと言いつづけていた患者が、呼吸困難の錯乱状態のなかで『呼吸器をつけてくれ』と言ったとしても、その希望は冷静な判断を欠いているから無効だというのだ。またそれとは逆に、患者は状態が悪くなって初めて本音がいえるという医師もいる。苦しくなる前から冷静に気管切開を希望できる患者などほとんどいないからである。(p40-41)」

 

また、なかには呼吸器の装着を積極的にはすすめない医師もいるという。ALS患者に呼吸器をつけたところで病は回復しない、「何もできない」患者をただ生かしておくのは「無駄な延命措置」である、と考える向きもあるからだ。患者本人も、「何もできない」自分に生きている価値はないと諦めてしまう場合もある。そうなると、呼吸器をつけてでも生き延びたいと望む者は、家族の迷惑も顧みない、生き汚い、往生際の悪い者であるということになるのだろうか。

 

呼吸器の装着率に関しては、男女のあいだで有意な差があると指摘されている。「ALS患者にかかる在宅療養環境の整備状況に関する調査研究」平成15年度研究報告書によると、ALS患者における在宅人工呼吸器使用は、男性529人(67.9%)、女性249人(32.0%)である。この有意差に関して、女性はそもそも夫や子をケアする側のジェンダー役割を担ってきたため、夫や子によるケアは望めないと諦めたり、遠慮や抵抗が生じるという分析を、川口さんが「人工呼吸器装着の意思決定をめぐるジェンダー要因—女性患者と女性介護者」で行っている。

 

こうして川口さんは、ALSの介護を通じて直面した問題は個人レベルで解決できるような事柄ではないと思うに至り、法や政治、倫理に関心を持ちはじめてさまざまな情報を求め、いろいろなひとに会うようになった。高校同期のメーリングリストでの交流をきっかけに、99年にはALSと家族介護についてのホームページを立ち上げた。03年には(有)ケアサポートモモという介護事業所とALS/MNDサポートセンターさくら会というNPO法人を設立し、患者と家族のQOL向上および介護労働者の地位向上のための実務とロビイング活動を開始。翌04年には、立命館大学大学院博士課程に進み、アカデミアへのロビイング活動もはじめた。40代からの再スタートである。

 

いまや川口さんは講演会、地方や海外への「さくら会モデル」の導入、国際会議などで縦横無尽に走り回る多忙の身であるが、失ったものも決して少なくない。社会問題としてのALSに取り組むうちに夫とのあいだのすれ違いが大きくなり、離婚に至った。本書ではあまり触れていないが、DVがあったことをブログに記している

 

本書はALSにあまりなじみがない人にも難なく読めるよう配慮されているが、実際にALSに罹患している人や介護する家族、ヘルパー、医療従事者にとっても有用な情報がたくさん詰まっているし、思考の軌跡はひじょうに示唆に富んでいる。徐々に体の筋肉が衰えていくことは恐怖に違いないが、恐れてばかりいては日々の暮らしは回っていかない。障害を受容して介護補助用具を用いることは、自立を諦めることではなく、むしろ自立をうながすことにつながるという川口さんの指摘は重要だ。肉親であればこそ日々衰えゆく患者の姿を直視しにくいものならば、ヘルパーとの連携をはかるほかない。

 

川口さん自身、実際には地獄のような日々をも送ったに違いないが、本書の筆致には、突き抜けた明るさ、たくましさ、そしてむしろ介護を楽しんでやろうという意欲すら感じる。それはひとえに、川口さんのお人柄でもあり、母・祐子さんから受け継いだ芯の強さなのだろうと思う。

 

***

 

なお、安楽死・尊厳死に対する反論は、立岩真也「良い死」で緻密に行われている。日本の安楽死運動の第一人者として知られる太田典礼は、1976年に「日本安楽死協会」を発足(83年「日本尊厳死協会」と名称を変更)し、70年代後半から80年代前半にかけて安楽死の法制度化に向けた運動を行った。それから20余年を経た2005年、「尊厳死法」をつくるべく、協会が14万人近い署名を集め、尊厳死を考える超党派の議員連盟会長らに嘆願書を提出している。会の創始者である太田は48年に施行された優生保護法(現・母体保護法)の制定に尽力した中心人物のひとりでもある。「社会の役に立たない障害者(児)や老人はどちらも生きる価値がない」という単純な紋切型の主張は、太田亡きいまでも根強く支持されている。

 

 

【参考サイト】

川口有美子さんの研究活動一覧

Welcome to Aji’s room!(川口有美子さんのHP

What’s ALS for me ? (川口有美子さんのブログ)

arsvi.com 立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点

良い死?/唯の生!(立岩真也)

日本ALS協会

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コメント(3)

ぴかりこ :

この記事がアップされてすぐ、この本を読もうと思いました。
分かりやすくポイントを抑えた書評、ありがとうございました。

私自身、高齢の母(今の時点では比較的元気)の介護が自分の問題としてあり、色々考えさせられました。末期に呼吸器をつける場合、男性患者に比べて女性患者の数が少ないことには切なさを感じます。

きちんと読んでから、難病患者の介護や介護一般について改めて考えたいと思います。これまでもDELTAGでは興味深い記事を拝見してきましたが、今後もジャンルを問わず示唆に富んだ記事を掲載してくださるよう願っています。

ぴかりこ :

確認したのに誤字がありました。

× ポイントを抑えた
○ ポイントを押さえた

全然抑えていない、攻撃的で魅力的な書評です。
ごめんなさい。

>ぴかりこさま

いつも拙サイトをご高覧くださり、コメントをつけてくださってありがとうございます。励みになります。

人工呼吸器をつけるケースには、神経系難病、脊椎損傷、重大な全脳損傷、末期がんなどさまざまあり、ALSだけの問題ではないので、高齢者の在宅介護においてその選択が迫られる場合もあるかと思います。わたしの記事の書きかただと、まるでALSに特化された問題であるかのように読めてしまいますね。失礼しました。

呼吸器をつけるということは自発呼吸が不可能な段階にあることを意味しており、つけなければ死にますが、つけたからといって「回復」するわけではありません。ここまでは記事に書いたことの繰り返しです。しかし、「回復」しないからといって装着が「無駄な延命措置」になるとの判断はいささか短絡的である、呼吸器以前にも、たとえば通常食(スープなどの飲み物含む)だと誤嚥を起こすのできざみ食やとろみ食にすることも「延命措置」の一環だが、それらも「無駄」なのか、なぜ「延命措置」への疑問が呼吸器の段階で急にもちあがるのか、という反論が挙げられます。

呼吸器という「鎖」につながれて、毎日「同じ天井を見上げて」すごすなんて可哀想だ、自分なら耐えられないという意見がよく聞かれますが、本人にとってその状態が本当に辛いかどうかは、傍目にはわかりません。脳波を測定するとひじょうに穏やかな波長になっているとの検査報告もありますし、呼吸器をつけて丁寧にケアすれば、呼吸器系、消化器系、循環器系がはたらきつづけ、汗もかけば体温も保たれるし、ケアする側が諦めない限り、患者本人との意思の疎通ははかれるのだと、橋本操(ALS患者、日本ALS協会副会長)さんがおっしゃっています。

なにはともあれ、ぜひご一読ください。

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