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「命」という名の暴力

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障碍者は介助の手なくして生きられない。介助を受けられるか否かは障碍者にとって命に関わる重大な問題である」

「同性愛者は介助が受けられないからといって死んでしまうことはないだろう」

「命に関わる問題と命に関わらない問題、どちらが大切か。両者を比べた場合、命に関わる問題の方が重大だとは思わないか」

これらの言葉、特に、最後の一言を、あなたは、どう受け止めるだろうか。

今回はこの「命」という視点から「暴力」について考えたい(なな/にじいろ扁平足)。

●当事者の「正義」は他者への想像力を鈍らせる

「命」。それは一般に「かけがえのないもの」とされる。人によっては「地球より重い」と言うであろう。私は、その「命」を守る仕事をしている。障碍者の自立を目的とするCIL(自立生活センター)において介助者として働いている。そう、冒頭の言葉は、すべて私が障碍者自身から向けられた言葉なのだ。

 

私は、自分が関わっているこのCILに、実に些細なきっかけでカミングアウトした。そこには「CILは人権問題に真剣に取り組む場所。ならば、私がレズビアンだと言ってもわかってもらえるであろう」という、いまから考えると安直極まりない考えがあった。

 

しかし障碍者といえども、その大部分が異性愛者。同性愛はじめ性的マイノリティへの理解は進んでいるとは言えない。介助に入っているとき、また、事務所で勤務している際、性的マイノリティに対する侮蔑的発言をよく聞く。はじめこそ「これは仕事」と思って割り切るつもりでいたが、それが続いていくうちに心身に変調をきたすようになっていった。

 

これ以上我慢していたのでは私自身が参ってしまう。そこで思い切って団体代表(障害者)に自らの考えをぶつけることとした。最初こそ「わかった。その点についてもCILの問題として考慮しよう」という返事だったが、日が経つにつれてその反応は私にとって厳しいものとなっていった。

 

はじめは(同性の)利用者に不安のあるようなことがあってはならない、利用者を性的な目で見ているのではないか、など、同性愛者である私に対する疑いという形でやってきた。そのたびに私は違う、それは働きぶりを見ればわかるだろうと説明した。

 

 

●同性愛者は「都合のいい介助者」

たとえば、こんなことを実際に障碍者から言われたことがある。

 

「同性愛者は、結婚しないから介助ローテーションの融通がきく。便利」

「同性愛者を(同性の)障碍者のもとへ介助派遣するのは不安である」

 

一方では「結婚することがないから」という理由から障碍者にとって「都合のいい介助者」という目を向けられる。また一方では同性愛者である私に「障碍者を性的な目でみるかもしれない」という非難の目を向ける。こんな二重のメッセージを受けたのでは、私はCILに関わりたいと思っても居場所がない。障碍者に関わる自分、レズビアンとして、人として自信が持てないままだ。

 

また、次のようなこともよく言われている。

 

「障碍者は介助の手なくして生きられない。介助を受けられるか否かは障碍者にとって命に関わる重大な問題である」

「同性愛者は介助が受けられないからといって死んでしまうことはないだろう」

 

極めつけは、これだ。

 

「命に関わる問題と命に関わらない問題、どちらが大切か。両者を比べた場合、命に関わる問題の方が重大だとは思わないか」

 

結論としては、同性愛者としてCILに関わっていくなかでいろいろ不満や思うことがあるかもしれないが、そこは仕事として割り切って障碍者の自立サポートに専念せよ、というものであった。言い換えれば大部分の障碍者にとって「同性愛者の問題は人の命に比べればさほど重要ではない」ということだ。

 

 

●「命」という「権力」を背景にした暴力

「障碍者の命を守るため」という一見口当たりの良いセリフのもとに、介助者や障碍当事者以外のマイノリティの意見は垂れ流しにされる。障碍者が「苦しい」と言えばそれは「苦しみ」として受け止められる。「命」に関わる問題だから。それ以外の「苦しい」は無視されてしまう。それは「命」に関わらないから。「介助が受けられないと死んでしまう」のなら「介助者」の抱える問題は障碍者にとっても他人事ではないと言えるのではないか。どちらが重大かとは一概に決め付けることはできない。

 

「死んでしまう」というメッセージは強い。誰だって自らの関わる人間が死んでしまうのは恐ろしいこと。そのメッセージを「障碍者が自分らしく生きるサポート」という形で断定的・巧妙に発し、「障碍者は正しい。異を唱える者が悪い」と思い込ませる。「命に関わる問題が重大である」と威圧感、罪悪感を与え、最終的には自尊心を奪う。相手は精神的に「命」をとられてしまうのである。

 

これは「命」という「権力」を背景にした暴力である、と解釈しても過言ではないのではなかろうか。

 

誤解のないように話しておくが、私は障碍者が憎いのではない。相手の思いを聞き、自分の思いを伝え、お互いに良い関係であるにはどうすれば良いだろうか。それを考えていきたい。いまはそう思っている。

 

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